後藤さんのメッセージ
目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。―そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。・・・・後藤健二
後藤さんは殺されてしまったけれど、後藤さんへの暴力を、報復の出発点にしてはならない。テロを無くすために必要な事は、競争社会をやめることだ。拝金主義にまみれた、資本主義が生みだした、貧困の増大。富の集中。格差社会をやめない限り、テロの暴力は再生産されてゆく。平和への道は力による、管理ではない。一人ひとりが、平和に生きる事が可能な社会の条件を作り出すことだ。暴力に対して、どうしたら防げるのかと言う問いかけは確かに、切実であるし、現実的である。しかし、暴力に対して、暴力で答える事は、報復の連鎖への道である。静かに耐えることだ。後藤さんの平和の祈りに答えると言う事はそういう事だと思う。I am not Abe.We are kennji.
一人ひとりに出来る事はわずかである。平和への力等誰にもない。しかし、無いとあきらめるわけにはいかない。世界中の人が、そう思えば良い。そう想像を広げればいい。世界には穏やかで平和な暮らしがあると言う事を。競争をしない生き方。戦わない生き方をさがすほかない。テロと言うものが、人類のガンであるなら、ガンと闘わない生き方もあるはずだ。テロリストを評価する訳ではない。テロの暴力を肯定する訳では当然ない。卑劣な人間に暴力的な手段で対抗しても、ガンは増殖して行くばかりという事。テロと戦ってはならない。テロを無くす道を永遠に探してゆくこと。
安倍氏は今の状況を想像していたはずだ。何ヶ月も前から、この日が来る事を予測して行動していた。首脳外交のスケジュールの中で止める事が難しかった中東歴訪も、計算された行動に組み込まれたと考えざる得ない。安倍氏の頭にあるものは、平和憲法を改定して、戦争のできる普通の国になる事である。それを自分の使命として、自分を木偶人形にしている。目先の利益だけを見ている競争主義者には、経済至上主義の人間には、経済的利益以外の価値観は理解しがたいのだろう。金持ちはより金持ちになり、弱者はより困窮に追い込まれる。能力のない事は自己責任だと切り捨てられる社会。こうした資本主義の限界まで来ている矛盾が、テロリストの登場に繋がっている。アラブには石油という資本が存在した。その為に、欧米の価値観とは別の価値観が維持された。その結果起きている軋轢が、繰り返された世界大戦の遠因となっている。石油価格の暴落が引き金の一つになるのか。このままではまた同じ轍を踏む事になる。
平和への道は武力主義による均衡よりもはるかに困難なものであろう。それでも人間が暴力を捨てる日が来ない限り、人間に生き残る道はない。外務省は後藤さんのシリア渡航を3回阻止しようとした、と世耕弘成官房副長官が発言した。もし、真実であるなら、その証拠を公にして発言すべきだ。どうも嘘のにおいがする。もしそれが真実であるなら、さらに恐ろしい陰謀の様な物があると思えてくる。湯川さんの殺害と言う事は、相当早い時期に行われ、外務省も把握していたのかもしれない。湯川さんと後藤さんが結び付けられてゆく過程がどうにも分からない。外務省の依頼で、後藤さんがシリア入りしたという説もある。それにしても、後藤さんの家族に、身代金の請求が昨年11月頃には来ていて、それを口止めしていたという事は何を意味するのか。今回の事件は藪の中にあるが、分かるのはそれを受けての安倍氏の行動および発言である。