自治会規約が文章化された。

   

自治会規約が昨日成立した。舟原自治会では、特段規約を明文化する必要もなく、今までやって来れた。私の様な新しくこの地域に暮らし始めた人間が、規約を明文化する必要があると言うのも、余計な事と言えば言えると思う。しかし、舟原でも住民の3分の1の人が、新しく舟原に来た人たちである。新しく来た人たちも、皆さん自治会に加入してくれている。そのときに規約がないという事では、いままので明文化されていない、舟原の決まりごとを説明する事は、なかなか難しい。10数年暮らした私でも、自治会長になって初めて知った、決まりごとが沢山あった。例えば、舟原なのか、船原なのかも、色々使われている。この明文化されてはいないが、地域をまとめる意味で、大切にされてきた決まりごとを、文章の規約と言う形で、取りまとめる必要はあるのだろうと考えていた。さしでがましいとは思うが、新しく住んだ私が自治会長を仰せ付かったという機会は、一つのチャンスではないかと考えていた。

その事もあって、自治会長を依頼されたときにお受けすることにした。近隣の坊所自治会ト欠ノ上自治会に聞いてみると、ずいぶん立派な自治会規約がある。若干、立派すぎて実際の暮らしから考えれば、縁遠い匂いがある。規約は法律ではない。慣習的な決めごとなのだと思う。地域の子供たちにふるさとを作ってあげる、道筋だと考えた。子供たちが、いつか大切な場所だと考えるようになってくれる為の、道筋を立てるものだと思う。幸い、舟原は人口は増加地区である。と言っても市街化調整区域であるので、人家がこれ以上に増える事もないだろう。増えても100軒どまりだろう。家の周りには農地が存在し、久野川があり、箱根の東斜面を里山として背負っている。遠くに相模湾が光り、なかなか美しい集落である。しかも、町中に出るにはそう遠くない。今度出来るイオンタウン、市役所、市立病院、まではそう遠くない。東京まで出るとしても、通勤が不可能な場所ではない。

こうした素晴らしい舟原が日本の代表的な里地里山として、いつまでも維持されて欲しいと心より願う。久野には、美しい久野里地里山協議会が存在し、活発な活動を展開している。何しろ箱根の外輪山への登山道の復活まで、協議会の手で実現した。久野川を奥入瀬にと言う活動も、熱心に続けられている。舟原にある、小田原に唯一残る元治の溜池は徐々に再生されてきている。奥にある小田原植木の森では毎年、100人もの子供たちが集まり川遊び体験塾が開催される。先日も、久野が好きだから久野に越してきたという、若者に出会った。その青年は和留沢は世界に通用する場所だと言っていた。私は首都圏で一番の場所だと言っていたのだが、さすがに視点の大きさが違う。舟原はその久野の最も重要な場所だと私は考えてきた。久野川の上流部がどんな地域になるかが、川や海の命を守る基点になる。

久野には産業廃棄物の焼却施設の反対を成功させた歴史もある。その運動の一つの中心をになった地域でもある。あしがら農の会の活動も、久野地域でかなり行われている。今回、自治会長になって3つの事がやりたかった。1つが、避難場所のフラワーセンターへの移動。2つが、防災名簿の作成。3つが、自治会規約の明文化。その3つともが私がという事でなく、そういう流れがあった。ある意味余計なおせっかいと言う事は十分承知していていたが、何とか進める事が出来た事は、本当によかった。舟原は土砂災害のレッドゾーンがある。日本全国で起きる土砂災害を考えると、避難方法や訓練も、今までのままではダメだと思う。これは全体の問題でなかなか難しい所があるが、4月からは防災リーダーと言う役でもあった。2度目の公民館長の役も回って来る。ここまで進めることに皆さんに協力いただいたのだから、それくらいはやらなければならないと思って引き受けた。

 - 地域