不時着地点の模索

   

マレーシアの飛行機が乱気流に巻き込まれて、海に墜落してしまった。マレーシアの飛行機では不運が3度も続いている。まさかまた起こるとは、驚きである。悲しい事にこうした事故は必ずどこかで繰り返されている。日本という国も、昨年末に総選挙が行われ、アベノミクスが選択された。誰もがこの結果を予測したのだろう、驚く事はないが、選択の余地がなかったという結果と言われている。日本が迷走飛行しているらしい事は、大抵の人は感じているが、乗客には機長の判断に口を挟む余地がない。操縦法も知らないし、危険を叫んでも、落下傘で飛び降りることもできない。悲惨な墜落ではなく、どこかに不時着してくれないかという願いである。機長は操縦桿をひいいて、ますます高度を上げて、乱気流を避けようとしたと言われている。この判断が間違いだったようだ。迂回すればいいと言われているが、本当の所どうすればいいかは分からない。これが正月の悪夢である事を、願わざる得ない。

経済が悪い。それは労働人口の減少にある。等と言う事が言われてきたが、とんでもない判断ミスだ。人口が減少するのは、人間の生命維持の安全装置が働き始めているからだ。この先日本に悪い事が起こる。残念ながら、振り払っても、振り払ってもこの悪い予感がぬぐい去れない。正月早々縁起でもない悪い予感がしてならない。歴史観と予測能力では、今年は悪い時代の到来を予測させる事件が起こりそうである。外れて欲しい事なのだが、不安が付きまとう。今までは、おかしな天変地異が続いたが、それでも気付く事の出来ない、日本全体に対して、不吉な事件が起こりそうな、じつに嫌なかんじがある。経済と言うものは、世界全体の問題である。安倍政権や黒田総裁が、最善の選択をした所で、日本一国でどうにもならない問題である。世界の状況でいまさら日本が有利になるような、条件が少ない。優秀な指導者と労働力が豊富に存在した事が、戦後日本の価値であった。

今考え実践すべき事は、地場・旬・自給である。その安心に立ち戻ること以外に道はない。私は30年前日本の将来を考え、不時着地点の発見を考えた。そういう予測を立てて、暮らしを変えようとした。それは当時の社会の中では、むしろユートピア的な牧歌的なものとみられていた。風変りな変人の仙人思想のように受け止められていた。私としては、当時既に社会全体が変わる事はこの時点で諦めていた。社会全体が滅びに向かうのであれば、この滅びとは別枠で生き残る箱舟を考えなくてはならないと思った。その後の30年はほぼ想像通りに日本は進んできたと思う。日本の水土を失う30年であった。水土とは、国破れての山河でも良い。日本の水土によって生まれた日本人が失われてゆく、30年であった。水土が失われてゆくのだから、日本人と言うものは見当たらなくなってゆく。悲しい現実である。日本人が居なくなれば、日本は無くなる。

日本列島で膨大な金鉱でも発見され、日本が大金持ちになった所で、日本人がいなくなれば、日本と言う国は失われる。その日は刻々と近付いている。戦争ではなく、人間の暮らし方の変化に、日本人は消え始めたのだ。経済以前の問題である。日本の経済が沈没する日が来たとしても、日本の水土が復活出来れば、日本人は再生し、もう一度日本の文化を再生できる日が来るかもしれない。その日の為には、細々であろうとも、地場・旬・自給の道をたどる以外にない。そう考えた、30年であった。残念ながらその悪い予測は外れることなく、いよいよ近づいてきたようだ。まだ、間に合うかもしれない。悲惨な事が起こるとしても、まだ最小限にとどめる事は出来るかもしれない。この日本列島と言う恵まれた、豊かな土地に、日本人が暮らしを再生する日を考えておく以外にないと思う。正月から、悪い気分で申し訳ない。

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