選挙と政治の関係
房総海岸 中盤全紙 水彩人の講習会で描き始めたものだ。この海なりの海岸の力を描きたかった。つまり海と陸とのせめぎ合い出来上がる、岸辺である。
相次いで閣僚が辞任した。あまりに素早い。もう少し粘ってもらいたかったが、あっさりとしていた。こうした所に安倍政権の運営スタッフの優秀さを感ずる。大切な問題が山積みだから、確かにこんな問題にかかわっていない方がいい。今回の教訓は、政策選挙の実現である。うちわ法務大臣によると、あのうちわのようなものは、討議資料ということらしい。討議資料とわざわざ印刷されていたうちわ。うちわを有権者にタダで提供すれば、選挙違反に成ると思ってのことだろう。ここに討議資料と書いておけば、選挙違反に成らない。こう考えたようだ。所が討議資料にしては、似顔絵と標語だけだ。どうも裏側に色々書かれている可能性もある。なんだかよく分らない。もし、うちわに本当に自分の伝えたいことを記載したとしたら、素晴らしいアイデアではないか。うちわの柄が付いていることが問題という結論らしいが。それでは競技用紙飛行機が作れる点線入りの討議資料等と言うのは違法だろうか。
公職選挙法がくだらな過ぎる。松島氏は法務大臣なのだから、このうちわ型討議資料の合法性を充分に検討し、認識していたはずだ。所で討議は行ったのだろうか。資料だけ配って、盆踊りをしていたのではちょっと違うだろう。盆踊り会場で討議資料を配って、討議を始めると言うのも非常識だろう。議員と言うものは、常に売名行為的選挙運動をしているということだ。情けないやら悲しいやら。こういう生き方をしている内に、政治と言うものと、選挙と言うものを混同してしまう。一生懸命選挙運動をすることが、政治活動だと考えるようになる。だから、政務活動費の使い方が、小渕氏の場合ベビー用品やらと言うことに成る。政治家は人のつながりを大切にしなければならないと言うのが理由だ。人間であれば誰でもそうだ。政務活動費をインターネットで1円まで明確に公表する。それを投票の判断材料にさせてもらう。成否の判断は有権者が行うことだ。
選挙がおかしく成った一番の原因は、現役議員の既得権の主張である。極端にいえば、選挙活動など禁止したいぐらいだと思われる。そうすれば、現職有利にきまっている。そしてそもそも現職議員の議員活動というのは、ほぼ選挙活動と同じものを意味している。あちこちに顔を出して、お祝金を包む。下仁田ネギも、うちわもある。もちろん場合によっては選挙違反に成りかねないが、そこは上手くやる訳だ。現職議員はそういう選挙活動を堂々と、政務調査費と言う、公金で行えるということのようだ。議員はすべて、インターネットで日々の活動日誌を公開すべきだ。それを有権者は判断材料にする。こうすれば、もう立候補する人は居なくなるのではないか。上手い汁が吸えなくなれば、たぶん大半の議員は止めるはずだ。すでに市町村議会では、立候補者が不足する地域が出てきている。
議員と言うのは民主主義社会では、選挙で選ばれる。有権者の判断材料はインターネット時代に成って、すべてを変えなければならない状況である。これを変えようとしないのは、現職議員の既得権意識である。変化したら落選するかもしれない不安。選挙運動でやきもきしながらも、今のままでいたのである。政務活動費、日常の勤務日誌。そして政策。こうしたものは、無料でいくらでも公開できる。だから政務活動費と言うのは、いらない。もし政策研究の為に、必要なら議会事務局を通して、購入するようにすればいい。うちわの出費の判断は、議会事務局と、有権者が行う。これだけで、まともな民主主義に近づくはずだ。政治家なのだから、政策の研究に専念してもらう。その内容を読んで、有権者は選挙をするだけである。こんな簡単な変更を出来ないという所に、日本の政治の既得権の強さによる停滞がある。