16回水彩人展残り2日

   

水彩人展が後2日である。水彩画を描く人なら、見ていただく価値はあると思う。本来の水彩画というものの可能性が、展開されている。公募展に成ってから3回目の展覧会だった。応募者数、入場者数は公募展に成ってからの最高を記録している。絵の評判は外交辞令を考えてみても良い方かと思う。水彩人展の方向が打ち出せてきているのではないか。。後は、広げるのではなく、どこまで自分達の絵を、深め、高めて行けるかだろう。同志的な結束のもとに、まっすぐに進めるかである。水彩の研究グループだという自覚を強くして行く。今後のことを考える上でも、今回の展覧会の会員の作品を自分なりに書き留めておく。全体としてみると、会員の人達のレベルの向上を感じたからだ。同人は確かに変化をしようとしている。しかし、成長しているのかどうかは、難しい所かもしれない。一般の応募者に関しては巧みに見える絵が増加した。若い人も少し出品してくれ始めたが、若い人ほど巧みな技術を好む傾向が見える。これが何を意味しているのかも気がかりである。水彩という材料は技術的な方向に流れやすい。その意味も今後意識して考えてみなければならないとも思った。

今回は、同人推挙に成った人が2名出た。これは水彩人としては画期的なことだ。同人にふさわしいと言う人が、複数いたということに成る。これは、水彩人をやってきた最大の喜びである。一人は北海道の山平さんである。黒々とした岩ごつだけを描いている。抽象画とも見えるが、相撲でいえばぶつかり稽古の様な気がする。黒い岩に、歯ごたえを感じて、砂まみれに成りながら、立ち向かってゆく。その真摯さが現実の画面に、見事に痕跡をとどめ始めた。その血まみれの砂が、画面に成っている感がある。昨年あたりから、急速に絵を深めた。絵を深めて行くという意味は、人によって受け止めが違うことだと思うが、結局主観的な、曖昧なことではある。水彩人同人の多数がそう感じたということになる。山平さんという人の人間存在が絵に立ちあがっているような趣。その意味では、水彩人一ではないだろうか。一番近いのが同人の松田さんの絵だと思う。今回はたまたま両者が並んだ。松田さんの蓮池が命の悲しみであれば、山平さんの絵は、苦界浄土を思わせる。両者の精神絵画の意味は深い。

以下無許可で、映りの悪い写真を載せて申し訳ないが、参考のためお許しください。添付はしないで下さい。

もう一人の新同人は金沢の堀田さん。人物2点である。水彩らしい際だった描写の絵である。その描写の的確さが、真摯なひたむきな世界観に通じている。巧みな描写性の中に、技術の独り歩きが無い。技術が政策の意図にしたがっている。確かに人間を描いているのだが、むしろ人間の存在する空間を見る目が深い。その描写性に目を奪われていると、堀田さんの絵の本質は見誤ると思う。描写された人物に託された清新な空気だ。そこにある世界観に大いに期待を抱かされたのだ。人間を美しいものとして、その表層を追うのではなく、描かれた人間の人間としての実在に驚くのだ。図像としての人間ではなく。肌触りのある人間。このあたりに作者の世界観の深さに通ずるもを感じた。今後の絵の世界の展開は、一番可能性が広いのではないだろうか。ここで留まる様な人ではない予感がする。水彩人同人としてともに切磋琢磨させてもらいたい思う。

その他にも会員には目覚ましい進歩をしている人がいる。奈良県の関さん。奈良の里山風景を描いている。私が今回最も刺激を受けた絵だ。巧みさが全くない素朴な表現によって、里山の持っているたおやかな空気が、再現されている。会場に行く度に、その不思議に包まれる。この水彩画は歴史に残る様な名作ではないかとさえ思った。私自身がやりたくて出来ないでいる仕事を実現している。実にうらやましい。たぶんこう見えているから、こう描く。この行為が真っすぐなのだ。実にてらいなく正直な絵だ。どこまでも上手くならないで、さらに深めてくれる事を期待する。

そして、埼玉の昆野さん。10号の作品3点なのだが、その水彩らしい色彩表現の美しさは群を抜いている。同人を含めても水彩人随一であると思う。水彩画全体を見渡してもこの美しさは傑出していると言える。水彩絵具の美しさを越えて、色彩の美しさに到達している。水彩画の良さは作品の大きさではないということが、良く分る。美しく見えるという背景にある作者の美しい世界観が表わされている。風景を美しく見ることのできる人間がいる。人間の目を通して作り上げたものの美しさだ。この実力は全く揺るぐことはないはずだ。同じ絵の具と、紙で描いたものなのかというほどの驚きがある。

さらに、杉山さんの前進にも驚いた。絵の世界が一気に深まった。絵が深まってみると、絵は分っていたのだと思える。分っていることが画面に現われる日があるのだ。会員には、そういう意味のあと一歩の人達が沢山いる。見えていること、分っていること、その作者の世界を見せてもらえる日が予感される。

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