何故近隣諸国を蔑むのか。
月の眺め 3号 月と言うものの象徴性は逃れることができないが、出来ればそういうものに依存しない、ただの月の光の美しさの様なものを描きたい。
何故これほどまでに、近隣諸国を蔑む心が育ってしまったのだろう。日本の社会的衰えが浮かび上がるようだ。ヘイトスピーチもその一例ではあるが、それ以上に普通の人たちの中に、広がる差別意識だ。国連機関では、日本のネットでも広がるヘイトスピーチにも、懸念を表明している。このブログでも、時々ヘイトスピーチ的コメントがある。厳しく当たらなければならない。テレビでの朴大統領の発言が放映された時の反応が怖いほどだった。日帰り温泉での反応なのだが、怒りの声が出る。たまたま居合わせた秦野の湯花楽はまるでヘイトスピーチ状態になってしまった。湯花楽には外国の人も結構多く来ている。東海大学の関係もあるかもしれない。あるいは、周辺にある工場で働いているのだろうか。ともかく、あの耳障りな言葉をどんな気持ちで聞いているのかと思う。大体同じ人が発端を作る。問題はそれに呼応する人がいると、エスカレートして行く。つい同調してしまう人間の甘さ。嫌な兆候を感じる。
在特会の様な事例は極端だと思うが、蔑む心が一般に広がって来ている。果たしこういう日本人の傾向は、いつ頃から育ったのだろうか。江戸時代の身分制度も中期以降強化されてゆく。髪型、足袋の使用、衣類の制限など、江戸時代初期の緩やかな身分制度が、より強化されてゆく。これが差別の広がる背景にある。これは長子相続制度の強化によって、家庭内に差別を持ちこまざる得ない、家族制度の強化が背景にあるようだ。室町時代は、差別という意識は少ない社会だったらしい。もっと野放図で日本人にこんな権利意識が存在したのかというほど、権利裁判事例が多かったらしい。江戸時代も後半に成るに従い閉鎖的な社会が強化されてゆき、差別が深まる。大きな要因は武士階級の経済的な逼迫があり、社会の先行きに不安が醸成される。黒船が来なかったとしても、社会の仕組みは限界は近づいていた。差別部落に対する極端な差別行動が強まってゆくのも幕末だ。本来1000年以上続く特殊部落の存在が、村の村立が危ぶまれる浮浪化する不安時代に入り、農民の定着、身分制度の強化、画策されたのではないか。
明治期に入ると、近隣諸国への差別意識は深刻なものになる。身分制度が解消されると同時に、新たな差別意識が、明治政府の意図によってつくられる。長子相続を強化せざる得ない、農地面積の限界と人口増加問題。それが能力主義差別というようなものに、置き換えられてゆく。皇国思想の出現と、出世主義と経済格差。それまでは同じ日本人内での差別が、一気に中国人朝鮮人への差別意識に変わってゆく。これは、明治政府の脱亜入欧的な意識の反映なのだろう。遅れたアジアでは植民地化されてしまう不安、欧米の帝国主義への対抗。競争意識の強化に、中国、朝鮮の人への蔑視意識を植え付けてゆく。頑張らなくては、植民地化される不安。大東亜共栄圏を目指し、そして敗戦する。何とか立ち上がり復興する日本。経済競争に全精力を使ってきた日本。その頃は一時的に差別は影をひそめる。その自信が揺らぎ始めているのが、現状ではないか。近隣諸国が独自に、日本人の手を借りなくとも、経済発展するということは、想像をしていなかった日本人がそこにいる。
他人を蔑むという気持ちの裏には、自分の中にある差別された意識への、うっぷん晴らしがある。それだけ、現代日本人が不安や不満の中に暮らしているということなのではないか。社会全体に余裕がないということが考えられる。その屈折した思いが溜まってゆく。日本人が近隣諸国をどう考えるかより、世界が日本をどう見ているかを重視しなければならない。周辺国を悪く言う風潮が、世界における日本人の評価を大きく下げているのだ。国連の日本への勧告を、緊急に、正面から受け止める必要がある。相手を慮り、許す心を育てるには、まず自らの安心立命が必要である。日本社会の先行き不安は競争に敗れる不安だ。経済競争に負けたとしても日本で十分にやって行けるという安心感を持つことが大切。競争意識を捨てれば他国を必要以上に意識することもなくなる。自分がどうあるかということでいいはずだ。一番でなければ終わりだと思い込む必要なぞない。