久野そば作り体験塾

   

秋霧の志賀高原 10号 紅葉は日本の里山の魅力であったが、今は里山は杉檜である。そこでどこか遠くまで行かないと、紅葉は見れないことになっている。

8月2日久野地区そばづくり体験塾が開催された。今回は自治会長として参加させてもらった。久野連合自治会が取り組む事業として、4回目のことになる。久野連合自治会というものは、小田原市自治会総連合というものの下にある組織だ。小田原には26地区の連合自治会がある。その一つとして久野連合自治会というものが存在する。ここは小田原市に合併する前は、久野村として存在して、現在おおよそ1万人の人口がある。久野には16の自治会が傘下にある。私はその一つの舟原自治会の自治会長を今年やらせていただいている。舟原自治会として行う活動とは別に、連合自治会として行う活動が、又別にいくつかある。久野地区の中に、沢山の市民活動があり、ここに動いている。これを取りまとめて全体で行う活動の一つに、そば作り体験塾というものが位置づけられている。だから、各地区の連合自治会長は必ず参加することになっている。と言ってもやることは、参加する家族の皆さんの、お世話やお手伝いをするという立場だ。参加者は21家族、75名の参加ということだった。

この活動は当初、美しい久野里地里山協議会が担当していた。その頃出たことはあったが、私が考えている、里地里山の事業とは少し方向が違うと考えたので、参加は止めた。里地里山が維持できるためには、地域の農業林業が活性化することである。地域の人の暮らしとして、農業が生業として成り立つこと。このことが基本的条件である。地域の農業は展望が見えない。後継者が農業を続けてゆくことはむしろ、少ない事例になっている。林業となるとさらに困難な状況である。こうした中、どうすれば耕作放棄地を減らすことができるのか。市民が自給的に農業を行ってゆくことしか、農地を守ることは出来ないと考えている。それが20数年前農の会を始めた動機の一つである。農業者が減少し、老齢化して行くなら、それに代わるべき自給したいという市民を、つないで行けばいいという考えである。農の会も足柄平野全体に広がり、その方向付けはできたと思っている。自給してみたいと考える人がいるなら、農の会でお世話をすることができる。

農の会の活動はある意味自覚をした人たちの活動である。しかし、農業から遠ざかり距離が出来ている人達が日に日に多くなっている。自給的に生きるという発想自体が、少数の人達の考え方になっている。親世代はともかく、小さな子どもたちは土で作物ができるということを実感する機会すら乏しい。これは、教育の欠落だと考えている。外国語など学ぶくらいなら、食べ物を作るといことを体験させなければならないと考えている。その意味で、久野連合自治会のそば作り体験塾活動は、評価できる。こうした活動を通して、農業の魅力を知り、農業を支える気持ちを持ってもらえるかだ。自分の食べている物、誰かが作ってくれたものだということに気付いてもらいたい。たぶん、似たような活動は全国に山ほどあると思う。JA主催であったり、企業の事業であったりするだろう。地域のボランティアが取り仕切っている事例も沢山あるのだろう。活動を行うことが良いことだという前提で、目的の精査がされていない気がする。精査はされているのかもしれないが、子供たちへの伝え方という点で、実績が上がっている事例は少ないのではないだろうか。

昨日は、炎天下、汗だくに成りながら、そばの種播きの補助を行った。実際の手順などは、今までの経験の蓄積からだろう、とても良く出来ている。全く初めての人に、間違いなくやってもらうということは、なかなか難しいことだ。子供たちが厚播きにしないということを、新聞紙を使って実践的に、解決していた。70センチの畝幅で、3,4センチ間隔で深さは、5センチくらいの溝に播いていた。土寄せの様子では、少し深めの播種のように見えた。この後、乾ききっているので、水を播いてやると言われていた。この後、土寄せを8月30日に行う。たぶん草削りも同時に行うことになるのだろう。畑は、たぶん2週間ほど前に、トラックターできれいに耕運されていた。当日の朝に、紐を両側で引っ張りながら筋を付けていた。参加者がその線に沿って、三角くわで溝掘りをして、種を播く訳だ。そばは作るが、倒れることと、収量が少ないことで、自給には少し不向きだと考えている。畑の様子を観察して、そば作りの勉強をさせてもらうつもりだ。

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