様々な選挙

   


鳥海山 麓の桜 10号 もう一枚の絵と同じ場所なのだが、次の年に行ってもう一度描いてみた。又いつか行ってみたいが、どこだったか思い出せるだろうか。

ウクライナのクリミヤ半島地域は、ロシア編入の為に中央政府の中止命令を無視して、直接選挙を行い、その選挙結果としてロシア編入を選択する市民が大半を占めた。その結果を持ってウクライナを離れ、もとのロシアに戻ることになった。そして、今度はウクライナの大統領選挙が行われたが、ロシア系住民が多数派を占めるウクライナの東地域では、選挙をボイコットした。その結果ウクライナ大統領選挙は一応無事行われようだが、変則的な結果となった。こうした選挙は民主主義的な手段というより、武力的権力に利用されていることを表している。微力に利用される選挙と呼びたくなるような選挙は、独裁国では普通のことである。シリアではアサド政権の独裁が続いているが、この独裁大統領の信任を確認するための大統領選が行われ、89%の支持を得たということだ。選挙がその国の民主主義のレベルを表している。選挙が本当の民意なのかどうか。少なくとも選挙というものが国の方向を決めているものでないことだけは分る。

こういう民主主義とは距離のある選挙は、世界中の選挙では普通の様な気がしてきた。中国の選挙を見ていると、信任投票ということで、民意というようなものが意味があるとも思えない。現政権が形式を整え、取り繕うための選挙のように見える。ロシアの選挙はもう少しましになったが、まだまだではないか。民主主義のもっとも重要な手段である。選挙というものが機能していない。民意を反映しているとは思えない選挙の方が多いのかもしれない。権力の追認の為の選挙。それを思えば、日本の選挙はまだましなようだ。と思いながら、先日韓国で地方選挙があり、この結果をなるほどとうなずかざる得なかったし、どこか日本の選挙を見るようだった。やはり韓国は日本の未来の姿だ。つまり、選挙と言っても選択のしようがないのであれば、民主主義とは言えないということに気付く。悪いものと、さらに悪いものをどう選べばいいのかということ。政治というものが、理想を失い、劣化が進んでいると思わざる得ない。韓国の与党が素晴らしいとは、多くの人は考えなかっただろう。しかし、野党ならどうかしてくれるとも思えない。

日本でも、民主党の到底日本を任せられない様な、能力不足。そして自民党政権に戻れば、ただただ、右傾化して、武力主義一辺倒。維新の会の分裂、極右政党石原新党の誕生。維新の会のいう地方分権とはいったい何を意味するのか。そして、正しいことを主張しているのが、社民党や、共産党。しかし、この政党に日本の運営が任せられると考える人は、残念ながら少ないようだ。日本政治の能力低下が目立つ。日本もダメと、もっとダメとの選択の選挙になってきたような気がする。その主たる原因は小選挙区制という、日本の政治風土に合わない選挙制度にあると考えている。日本は利権が作り上げた、地盤血縁選挙である。政策選挙ではない。原因は日本人が田んぼから離れたことにある。子供時代に身体を動かして学ぶ、そういう実体験に基づいて考えることがなくなり、観念的に頭でっかちになったため、経済的利益以外には考えが及ばない人種になってきた。

選挙は上手く機能するように常に努力が必要である。ただ、選挙を行っていれば、民主主義が成立しているとは言い難い。より国民の意思が反映するように、社会状況に応じて、変化をしてゆかなければならない。民主主義はそれを構成する、人間のレベルに従うものだ。まともな民主主義が成立するためには、常に構成する者たちのレベルアップの努力をしてゆかなくてはならない。権力に立つものが、自分達の権力維持だけを考えているなら、愚かな蒙昧な人民の上に立てばいいと考えるようになる。その結果、国家は紛争の中に巻き込まれてゆき、近隣諸国との軋轢を生むことになる。世界の選挙を考えたときに、不当なせな選挙がいかに大いいものかと驚くが、翻って日本社会が大丈夫なのかと言えば、必ずしも民主主義が成立しているようでもない。利己的な経済主義に踊らされて、目先の利益ばかりを追い求める国家になっていやしないか。韓国の現状を鏡として自分を写してみることだ。

 - Peace Cafe