村上華岳という不思議な画家

   


「二月の頃」


田植えの頃 二月の頃を描いた翌年の絵である。

村上華岳という明治から、大正期の画家は、長い間気になっている画家である。しかし、その気になり方は不思議なものだ。理解出来ないし、何がいいのかも分らないのだが、気になりだすと抑えきれないように、解釈したくなる絵なのだ。ひどい絵とも思うのだが、自分などはるかに及ばない絵の深い精神世界に存在していうようにも思える。実際に見る機会があれば時に見ているし、また、複製画をアトリエに飾ってすらある。それは、京都芸術大学所蔵のもので、大きさはB版全紙くらいのものある。卒業制作《二月の頃》は1911年の第5回文展で褒状をうけた。東山の明治時代の農村の風景を描いている。全く描写的にも見えるし、模様を描いているようにも見える。構図も悪い。まあ訳が分らない絵である。この絵を良い絵だと評価した人が偉い。気になってしょうがない絵である。本当に絵とは何だろうと思う。この人は、51年という生涯で、向かうべき絵がずいぶん動いている。どうも、結論を求めて描いていたのではないのかもしれない。

山種美術館蔵 重要文化財指定 《裸婦図》村上華岳制作年 1920(大正9) 絹本・彩色・額(1面)
寸法(タテ×ヨコ) 163.6x109.1

もっとも著名な絵だろう。重要文化財に指定されているのだから、良い芸術作品と言われているのだろう。私には不思議に見えるだけで、いわゆる良い絵だとは思えない。裸婦図といっても、常識的な裸婦の絵とは、全くかけ離れている。どちらかと言えば、仏像のような雰囲気である。といってももちろん仏像なのだと言い切ればそれもまた違う。やはり、裸婦のような気もしてくる。本人の説明などどうでもいいともいえるのだが、一応承れば「私はその眼に観音や観自在菩薩の清浄さを表わそうと努めると同時に、その乳房のふくらみにも同じ清浄さをもたせたいと願ったのである。それは肉であると同時に霊であるものの美しさ、髪にも口にも、まさに腕にも足にも、あらゆる諸徳を具えた調和の美しさを描こうとした、それが私の意味する『久遠の女性』である。」 ますます、何か不思議な世界に生きた人のような気がしてくる。

仏画の背景となる仏教という面も含めて、人間というものがくっきりとしていない。簡単にいえば、近代的でない。日本の伝統とも違うと思うのだが、幻想的情緒に流されている。人体というものの構造的な存在把握が出来ていない。雰囲気とか、情緒で精神性を表現しようとしている。これは良くないことだと私は考えている。人体の把握が出来ていなというより、あくまで図像としての人体であり、明治の限界のような感じがある。この点岸田劉生などと較べると、時代の逆行の匂いも感じる。人間をとらえきれないから、仏画になるのかもしれない。しかし、これが畑や、田んぼを描くとなると、われわれとはけた外れに、農村というものの実感のなかに生きている。畑を耕す、感触まで線に現われている。これは当時の日本人の凄さなのだろう。線に魂がこもる。絵描きである村上華岳が農村に生きる実感を理解していたということである。

日本人の絵画というものを考えるときに、村上華岳は私には外せない絵描きなのだ。時代の限界に見えるものが、むしろその生きた時代の精神を深く把握している為なのではないか。明治時代の農村に生きた人の空気を、深く真実に表している気がする。雪舟の天橋立図が、日本の風景を描き、始めて日本という国の空気を表現した。それは、芭蕉が「古池や かわず飛び込む 水の音」と読んだとたんに、風景が見えてくるということだ。「分け行っても、分け行っても緑、」と山頭火が読んだとたんに、風景は一変する。絵を描くということは、具体的に見えるということであり、ある切断面を見せていることで、その本質を表すことだ。村上華岳が見せた断面こそ、世界の一断面である。ただ見えているということを越えて、本質を見ること。そのす覚ましさがここにある。

 - 水彩画