春の体調不良

   

妙高岳 10号 

ここ10日ほど体調がとても良くなかった。思い出してみると、昨年の春も同じようなことがあった。いわゆる風邪をひいたような感じなのだが、同じ風邪をひいたというのでも、とても回復力が衰えた感じで、長引いていた。これが年をとるということなのかもしれない。最初熱が3日ほど、38,5分まで上がった。頭も朦朧としていたのだが、ともかく寝ていた。下痢もひどく、水便のような状態になった。食欲は全くなく、茫然と寝ていた。3日目を過ぎて徐々に熱が下がり、突然平熱まで戻った。それでも起きれるような状態ではなく、寝ていたのだが、戻ったと思った熱がまた、一気に38,5分まで上昇した。それから、又4日間熱が続いた。体力も落ちて、ふらふらな感じになって、また熱が下がった。何とか今は回復傾向にある。足元はまだしっかりはしないが、やることも色々あるので、何とか日常生活を再開した。ここ20年ほとんど病気らしいものはしないで、来たので、ちょっと体調の悪化に不安が生じた。

熱が出るには熱が出るだけの理由があるのだろう。風邪をひくには風邪をひくだけの理由があるはずだ。ところがどうも思い当たるようなことがない。何か悪いものを食べたとか、どこかで寒い思いをしたとか、そういうこともなかった。ただ、疲労感があって、困ったなと思ったとたん高熱になった。それで思い起こすと、昨年も4月に似たようなことがあった。気持ちの方が、暖かくなる、季節についていけないという感じがする。頑張ろうというような気持ちと、体のバランスが、悪い感じだ。頑張ろうという気持ちに、どこか焦りが生じて、その焦りが、体調不要を呼び起こすというような、気分的な問題を感じた。春が来ていよいよやらなければというような、どこか緊張した感じが、少しづつ自分を追い込むような感じがした。今年は、自治会長の役があり、これが気分的に重い仕事ということがあるのかもしれない。

老人の身体になってきたという感じもする。なにしろ、熱が出始めてから、治るまでの時間が、昔の数倍かかる。ちょっとした切り傷をしても、怪我が治るのに、2倍の時間がかかる。同じように、病気にかかっても2倍の時間がかかる覚悟をしなくてはならない。それでも、今回は、いわゆる薬は飲まなかった。病院にも行かなかった。まだ大丈夫だと思っていたのだが、病院が嫌いなのだ。病院に行けば、病気は少し早く治るのかもしれないが、自分の病気に成った納得がゆかない。病気になるというのは、原因があり、それが治るのにも原因がある。むしろ病気に成ったことを、受け止めて、身体の治癒力に従い、時間をかけて、回復した方がいいと思っているのだ。なまじ抗生物質のようなもので、病気と闘うことは、早い対応なに成るかもしれないが、さらに、長期的な問題を抱える可能性もあるというのが、今のところの、私の病気に対する考えだ。

春先になると、身体が変調をきたすというのは、例年のことになりつつある。始まりは咳からである。気管支は弱く、いつでも、すぐに咳が出始める。咳は続いて、から咳のようなものが、1ヶ月とか、2ヶ月とか続く。咳だけで終わっていたのが、熱まで出るような感じになってきた。そのつもりで、いなければならない。東洋医学的にいえば、気の通りが悪くなるというような感じなのだろうか。咳が出て、消化能力が衰える。下痢をして、熱が出る。これが、春を迎え、動く体に変わる関門、のような気もする。なにしろ、今年に入って、絵を描き続けている。畑仕事はさして行わず、ただただ、絵を描いている。考えてみれば随分と不健康な話だ。そういう付けのようなものが一気にきたような気もしている。それでも、絵を描くことはすでに、続けている。絵を描く暮らしというものが、実に不健康な暮らしということもあるのだろう。長く続ける為には、ちょうど良いバランスを考えないといけないのかもしれない。体重53キロ。

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