防衛大学の卒業訓示
伊豆の入江 10号 朝日のように見えるが、夕日である。
安倍総理が防衛大学で卒業訓示を行った。全体を読んだ訳ではなく。一部テレビで放映されたのを聞いたのだが、あまりの発言に肝をつぶされた。日本近海の公海上において、ミサイル防衛のため警戒にあたる米国のイージス艦が攻撃を受けるかもしれない。これは、「机上の空論」ではありません。「現実」に起こりうる事態です。そのときに日本は何もできない、ということで、本当によいのか。(以上安倍訓示)だから、集団的自衛権の見直しが必要という総理大臣の主張です。実に大雑把に、こういう大切なことを、防衛大学の卒業生に訓示している。昨日はアンネの家を訪ねて根も葉もないようなセリフなのか、差別や戦争のない社会を目指すと誓っている。この人の発言は作者の居るセリフである。ということは、側近達がチラつかせる、極めて軍国主義的な差別的な、意見が目的地なのではないかと思わざる得ない。殉死した乃木大将や、殉死した卒業生の自衛官を褒め称えるというのも、卒業式にふさわしいとは思えない。
アメリカのイージス艦がどこで、何の為のミサイル防衛しているときに、どこの国から攻撃を受けた場合なのだろうか。現実と言っているのだから、日本近海で中国のミサイル防衛を考えている。日本が主張している領海内であれば、当然日本が反撃する権利は、現行法でもある。何も、集団的自衛権の見直しなど必要がない。これが、ミサイル防衛の為がいったん見直しが行われれば、拡大解釈され、中近東の紅海とか、黒海とかの場合はどうなるのか。日本の艦船、あるいは日本人の安全と保護という名目も在り得る。サハラ砂漠に展開する、日本企業が攻撃を受け、アメリカ軍が戦闘に入った。こういう時に自衛隊は出動できるのかである。そして、戦争というものは、こういうことが偽装されたとしても、始まってしまえば、発端など見えなくなる。両社の正義がぶつかり合うから戦争が繰り返される。しかも、前線の自衛隊が、突然戦闘を始めることがあるとすれば、それは日本の国益にとって、どういうことになるのか。文民統制どころではない。
戦争の危機はどんどん増している。特に北朝鮮の核武装について相当深刻に考えなくてはならない。こうして、時間が経過してきた中、間違いなく核武装のレベルだけは実践レベルに近づいているのだろう。北朝鮮の論理と同じで、軍事力で世界と肩を並べるには、核武装するしかないということになる。都知事選に出た、田母神氏や維新の党の石原氏はそういう考え方だと思う。安倍氏も同じ思想なのだと想像しているが、経済を前面に打ち出して、その軍国主義者的側面は小出しにしている。まずは、憲法改定を主張していた。それが出来ないとなれば、96条の3分の2条項を過半数にしようとした。それもできないとなれば、集団自衛権の解釈変更で、憲法改定をして軍隊を持つという、考えを実現させようとしている。だから、集団的自衛権の解釈変更の実態は、平和憲法改定を意味している。
アメリカという国が同盟国として、中国の攻撃を防いでくれると信じていること自体が、すでに危うい。アメリカの駐留軍は日本に対する抑止力の側面が強い。日本が軍事力強化をしないように、核武装をしないように、一応日本に居る必要がある。アメリカには日本を守り通す、そんな余裕はない、今回のウクライナ問題の対応でも、何が出来たというのだろう。日本は日本人で守るしかない。日本が、劣化して、嘗ての中国、朝鮮のように日本の侵略をうけるような状況にならないことである。開拓団まで送り込まれるような、自体に成らないことである。日本には耕作放棄地がやたらあるから、中国財閥が買い取って企業農業を始めるようなことにならないことだ。すでに、日本の山林や水源が目をつけられているという話も聞く。軍事力による戦争より、日本人劣化に伴う、自壊現象の方が現実に迫っている。人間は結局のところ、マネーゲームではなく、身を粉にして額に汗して働けなければだめだ。