里山資本主義 2

   

庭の眺め 10号 良く庭を描く。自分の作った庭だ。穴を掘って池を作ったり、木を植えたり、切ったり。自分がかかわった自然。畑もそうだが、人間のかかわりが、人間の手入れの反映が面白いということがある。

昨日に続いて、里山資本主義を。里山資本主義の社会基盤として、エネルギーの問題がある。里山のことだから、当然バイオマスエネルギーのことが書かれている。江戸時代の里山は、薪炭材の生産が中心である。二宮金次郎はこの薪炭材の入札をする山師としてスタートしている。里山の樹木は建築材もあるが、薪炭材がどれほど必要であったのか考えてみれば、関東一円の山は、大都市としての江戸の燃料庫のはずである。エネルギーは産業革命によって、石炭に代わり、そして石油に代わる。ついには原子力にまで至る。これが暮らしを驚くほど便利に変えた事は確かだろう。昭和30年代までは、山梨の山村は薪で生活をしていて、冬の薪の準備には、総出で2何週間かかる大仕事だった。里山暮らしのエネルギーの確保には生活のかなりの部分を割かざる得なかった。一般の現代人にはあの暮らしは到底無理だと思う。プロパンガスが入り、石油ストーブが使われるようになり、ああ便利になった。とみんなで大喜びをしたものだ。それが今更、あの暮らしに戻れというのか、と考えれば、大半の人はここで興味を失うだろう。

お米の脱穀精米のエネルギーを考えると、白米を食べたことの意味が分る。精米は水車で行う。舟原という60戸程度部落でも、5つ程度の水車があったらしい。至る所に水車がなければ、お米の供給が出来なかった。精米して炊飯した方が、玄米のまま煮る燃料を考えたら、大いに燃料の節約になる。25年自給自足生活を模索してきたものとして、エネルギー自給を合理的に行わない限り、里山暮らしの幸せ感は得られないと思う。暖房は自分個人は全く使わない。寒くない訳ではないが、すごい厚着をしている。羽毛を4枚重ね着するほどである。そうすれば何とかなる。大半の人がバカバカしいと思うだろう。瀬戸屋敷にある釜戸には煙突がない。燃料の節約の為だ。この地域では、嫁にやるなら山田か、内山と言われたそうだ。薪の豊富な里山と、湧き出る水が家の脇にまであったということである。もちろん田んぼがあるということも、大切な要素である。

昔の里山暮らしは、現代社会から見れば、馬鹿げたほど不便で、重労働な物に見える。ところが、現代の里山暮らしは、案外に現代社会の獲得した技術を取り入れれば、それほど大変でなく合理性がある。だから、当然の成り行きとして、里山暮らしに戻る人は戻るだろうと思う。だから、里山暮らしを人に勧めようとは思わない。絵を描きたいと考える人が、どうしても描くのと一緒のことで、やりたい人だけがやればいいことである。どれほど押しとどめても、人間は結局のところそこに戻ってゆくしかないと思うからである。ロケットストーブというものがある。燃焼効率の良い、簡単なストーブである。時々使っている。農の会で、みんなでワークショップで製作をした。薪が少なくて済むストーブである。この原理が、案外最近研究された道具である。炊事の燃料が半減するし、煙も出ない。ちょっとした工夫の積み重ねで、里山暮らしも、まだまだ合理化できる余地がある。

現代社会は産業革命以来の文明の曲がり角にある。経済の豊かさを追い求めて生活の形を変えてきたが、その結果生きる楽しさを見失ってしまった。里山暮らしの楽しさは、都市生活とは比べようもないほど、多様で楽しいものである。鶏、犬、猫とともに暮らす。これだけでも都会生活では絶対に味わうことが出来ない潤いがある。自分で作った食べ物で、自給する充実感は何事にも代えがたい喜びがある。生きるということの意味を知ることが出来る。人間は結局のところここに戻るだろうと思う。私が里山の中に暮らすようになって25年、里山の暮らしは年々やりやすくなっている。間違いなく似たような暮らしをする人は増え続けている。と言って、畑仕事が好きな人ばかりではない。畑仕事を楽しめない人は都会で暮らしを続けていてほしい。里山暮らしが好きな人が、好きな畑仕事をやる。このことが何より大切なことに違いない。

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