安倍氏の本音と村山談話

   

丘の畑 10号 傾斜地が続き、昔畑だった場所が、自然に戻ろうとしている。その遷移ともいえるような変化に引きつけられる。

安倍氏が参議院予算委員会の答弁で、村山談話及び小泉談話の継承を発言をした、と言っていいのだろう。到底本音とは思えない。安倍支持者達はここまでの発言をするとは考えていなかっただろう。この姿が、安倍氏の木偶人形説の根拠である。どうも発言のすべてが誰かが書いた、セリフを覚えているような感じがする。あの福島原発完全コントロール発言もそうだった。憲法改定手法でも、最近の憲法解釈変更でも、同じ人間が自分の言葉で発言をしているなら、石原氏のようになるのが普通のはずだ。子供の頃から政治家の家で育ち、後継者として育てられ、自分の立場、役割、能力を自覚している結果、こういうことになる。育ちが良いのか悪いのか。国民にとっては、この本音がごまかし続けられる状態は実にやっかいなことだ。もしかしたら本音などないのかもしれない。あの瑞穂の国、美しい日本だって、本音だとすればやっていることと矛盾しすぎだ。

近現代史はある意味玉虫色だ。どうとでも解釈はある。国の立場が違えば、違って見えて当たり前だ。日本が卑屈になることはないが、間違いを認め謝罪した以上、潔く受け入れるべきだ。そのことを覆そうという行動は、国際社会では最も許されないことになる。正義がどこにあるか以上に、一度認めた事は、実に重いということである。村山談話、小泉談話から日本は外交を進める他ないのである。若い人たちの間で、近隣諸国との歴史的事実認識がおかしいという意見が、WEBでの論調があるらしい。それもいたしかたないことではあるが、相手の立場に立って考えるという事もしてみてほしい。自動車事故でも被害者と加害者とが、直接示談交渉をするのは極めて難しい。等人同士では会わないようにというのが、保険会社の人の注意事項である。直接やるとこじれるものなのだ。事故の責任分担は20対80とかなっているものだ。日本政府が認めた侵略行為も、実際は複雑である。しかし被害者に対して、恩恵も受けたはずだ等言った所で、問題がこじれるばかりだ。

日本が取るべき態度は、過去の反省を潔く受け入れることだ。その上で、きちっとした正義を主張する。そうでなければ、領土問題や、経済問題にまで、過去の歴史が利用されることになる。一度出したものを覆すという姿勢は、国際的な信頼感を失う結果に成る。この点をアメリカ政府も指摘している。日本の侵略戦争の問題では、立場と見方によっては、歴史的事実も様々な角度から考えることが出来る。それは今起きているウクライナ問題でも、ロシアの報道では、欧米の扇動によって、大統領が追われた。ナチズムだということになっている。歴史認識というものは、常にそうした宿命のなかにある。真実も見る角度で、様々に見えるものだ。だからこそ、村山談話を今更覆すことは、どこに真実があるかという以上に、世界から信頼されない国なる。しかし、世界にも理性や正義はある。日本が一貫した正しい態度を貫いてゆけば、日本の本当の姿を理解する人たちもいる。いまさら、過去をあげつらい、おかしな宣伝をしている国より信頼されるはずだ。

村山談話では、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」としている。侵略の証拠がないとか、あるとかいう議論は外交の場に於いては、未来の視点に立てば妨害行為に他ならない。日本政府としては、その後の小泉総理も村山談話を踏襲した政府見解を出した。安倍政権に成って、見直しのニュアンスが出てきたことが、世界から顰蹙を買っているのだ。こうしたことが問題にされること自体が、日本の弁解説明が、さらに日本のイメージ低下に成っている。安倍氏がやっと明確にしたことは、遅きに失したが、発言があったことで次の展開につながる。悪かったということは認めて、今更蒸し返す方がおかしいというところまで持ってゆくしかない。日本が、そういう平和国家に成れば、自ずと世界は正しい見方をしてくれるはずだ。

 - Peace Cafe