二つのデモ行進
小倉城 10号 海があり、松林があり、城がそびえている。他にはない情景である。お城の下に家並みがあるのだが、遠くから見るとどうなっているのか分らなかった。
反原発の2つのデモがあった。一つは8日に行われた、地元小田原のサヨナラ原発行進である。二の丸広場で開かれていた、おひさまマルシェがスタート地点で、駅周辺を一時間あまり歩いた。お日様まるしぇといくらか連動しているのかと思ったが、ギクシャクした空気があった。行進はのどかに、歌を歌いながら楽しく歩いた。小田原でも時々はこうした、デモ行進があるのだが、そう大勢が参加することはない。メンバーも入れ替わりが激しく、原発1周年のころに比べると、参加者は3分の一くらいに成ってしまった感じである。しかし、それでも200名くらいは残って頑張っている。デモなど何の意味もない、とはいつも思うのだが、つい出かけてしまう。デモに来なくなった人は、参加はしてみたが、あまりの効果のなさと、世間の無反応にバカバカしいと思うのだろう。しかし、こういう意味のないようなことをやり続ける必要もある。いつか何かが変わる事を信じる以外にない。加藤市長は長いメッセージを寄せていた。
一方、9日には日比谷公園に集まって、国会議事堂で抗議集会を行なわれた。原発ゼロ☆大統一行動 ~福島を忘れるな!再稼働を許すな!~の方は、人数は少しも減らないように思える、頼もしい。日比谷の野音には相変わらず入れないほどの人がいた。そして行進も激しく、シュプレヒコールがこだましている。あの、野田さんが騒々しいといったでかい声だ。デモの声を規制しろという自民党の意見も出ているが、その前に周辺にたむろす、街宣車のスピーカーの規制が先だろう。はるかにボリュームが大きい。主催者発表で1万人参加。警察発表6000人。NHKニュースでは4000人の参加と一瞬ニュースに流した。やらないよりはましだが、人数に関してはどういう調べをしたのだろうか。どうせわからないのだから、少なめという見積もりに、なんとなく気分が出ているのか。
3月15日にも日比谷から国会へのデモ行進がある。こちらは残念ながら、水彩人の最終日で、東京に行ってはいるのだが、参加は無理である。参加者が縮小しては、政府の原発再稼働に勢いづかせると思うのだが。無数の人の一人として、参加することにわずか誇りと意義を感じている。政府は原発再開に本気なようだ。目先の経済だけが価値基準だから、次世代への核廃棄物の多大な迷惑を顧みようともしない。原子力発電に依存するエネルギー政策は、日本という地震多発国では、相当に危ういものだ。再稼動するなら、先ず核廃棄物の処分方法を明確にしてからだ。六ヶ所村の再処理工場は可能性がない。又放射能の放出は、1日で原発1基分と言われるほどの量である。再処理工場の可能性で、放射性廃棄物の処理をごまかし続けているだけのことだ。アメリカでも核燃料の再処理は断念した。
自民党は原子力発電をこれからのエネルギー政策の基本にした。これは後始末を考えていない選択である。原子力発電所の中に、核廃棄物が置かれたままの状態で、日本のエネルギーの基本にするとはあまりにお粗末な発想である。地震国日本では、地下の埋設の最終処分がそう簡単に場所の選定が進まないだろう。今まで、何十年もできなかったことなのだ。その上に、福島原発事故の悲惨を体験している。誰が地下施設を受け入れるだろうか。もう一つは原子力発電のコスト計算に、廃棄物処理費が入っていない。40年で廃炉する放射性廃棄物の処理費も入っていない。再処理工場の失敗だけでもすでに2兆円である。こうした費用を原子力発電のコストに上乗せたとしたら、原子力発電は、次世代の負担ということである。原子力を選択した失敗を潔く認め、1日も早く、再生可能エネルギーの開発に掛けるべきだ。