忍者武芸帳とアンパンマン

   

瀬戸内の大島 山口には竹中正一さんという水彩の先人がいた。訪ねながら絵を描いた。この方は字も素晴らしい。島の学校の先生をされていたらしい。瀬戸内の島の色が印象的だった。又描きに行くつもりだ。

私が一番ワクワクした漫画は「忍者武芸帳」である。貸本屋でこの本が出るのを待ったほどである。作者は白土三平氏である。1959年から1962年まで全17巻が刊行されたとある。調べれば小学校3年の10歳からである。劇画と呼ばれるようになる前であったが、今までの漫画にはない迫力のある絵柄に引きこまれた。その後、「サスケ」「カムイ外伝」などが出たが、何故かそれほどに興味が持てなかった。記憶にある一番小さい頃には、冒険王という漫画雑誌に出ていた。福島鉄次作の「沙漠の魔王」の迫力ある図柄に惹かれたことだ。これはアメリカ漫画的なペン画のリアルさが別格で、惹きつけられたのだと思う。子供のころ以来見たこともないから、そう思い出すだけであるが。その圧倒的な超人的な描写が見たかった。しかし、毎回圧倒されるというほどではなく、つまらない気の抜けたような回もあり、あれっと思ったことを覚えている。

後に、白土氏の思想性ということが言われるようになったが、子供の私はそういうことよりも、図柄の迫力に圧倒されていた。ストーリもほとんど関心がなかった。しかし、今そのストーリーを読み返してみると、階級闘争的であることに驚く。やはり影響を受けたのだろうか。記憶にあるのは、忍法の科学的な図解程度である。例えばどうやって地中に潜むのかが説明されていて、やってみたい気に成っていた。貸本屋さんの本はビニールでコーティングのようにしてある形態まで、好きだった。悪い紙であるのだろうが、妙に厚い体裁で、3センチくらいの本の厚みがあった。単行本としては大きく、B5位のサイズはあったのではないか。当時少年サンデーとか、マガジンとかが出てきた訳だが、買ってもらえる訳もなく、読んだことはなかった。貸本屋には裏に住んでいた剛が借りに行くのについて行った。それを読ませてもらっていた。冒険王を読ませてもらったのは、近所の山口さんのお兄さんだった。この人はすべての漫画本を保存してあった。あれが残っていればすごいコレクションだと思うが。余計なことだが、忍者武芸帳を読ませてもらったお礼に紹介した。という訳ではないが。その剛は私のいとこと結婚している。

一方理解しがたいアンパンマンである。一見して、自分の領域外漫画であった。絵柄が合わなかった。線がぬるいというか、画面に張りがなかった。年代的にも子供の時期を過ぎていたこともある。あの頃惹きつけられていたのは、ちばあきお作の「キャプテン」である。これはストーリに惹かれたのだろう。あのちばあきお氏は自殺してしまった。以来漫画というものから距離が出来た。それが最近たまに風呂屋で、アンパンマンを見る。見させられる。お風呂屋さんの露天風呂にテレビがあって、アンパンマンが始まると子供がしがみついている。なるほど、こういうものかと思った。私が初めて読んで驚いたのは、弱った人に自分の顔を食べさせて、救済する姿だった。自己犠牲の意味ということだろう。それはいいのだが、食べられた顔がいつの間にか復活するところが、どうも割りきれなかった。顔が復活するためには、何らかの仕組みが必要だと思ったのだ。トカゲのしっぽのように再生して来るのでもいいのだが、何か理屈が欲しかった。

所がいまのアンパンマンは顔が食べられない。この一番肝心のテーマは見当たらない。ほとんどサザエさんと同じ流れの、幼児バージョンのようだ。幼児を対象にしたので、長寿命で飽きられないと作者が言われていた。イデオロギー性というより、良い子のファンタジーという毒のない感じである。子供の頃好んだ忍者武芸帳はずいぶんアクの強いものであった。明確な主張があった訳だ。もちろんそんなことは当時は分らなかったが、百姓一揆に夢中になったのかもしれない。今想像すれば、黒沢映画の7人の侍の影響もあるのかと思う。忍者武芸帳に当時の子供が、引きつけられたのはなぜだったのだろう。それは私だけではなく、貸本屋は忍者武芸帳の子供たちの借り手が順番待ちだった。親は忍者武芸帳のことなど全く知らなかっただろう。親に知られず、学校の先生にも知られず、子供の世界として、ある種触れてはならない世界のように、忍者武芸帳の地べたにうごめく人間の姿にびっくりしていた。

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