日本の外交関係
戸隠山 10号 戸隠の紅葉は際だっている。今年の秋も描きに行ってみたい。
日米の関係が変わり始めていることは、かなり明確になってきた。安倍政権の集団的自衛権「憲法解釈変更は閣議決定」の主張はまさにそこにある。中国と対抗するために、ロシア重視の安倍政権の政策が、ウクライナ情勢で、空転を始めている。アメリカの関心は、中国の経済と考えて置いた方が間違いがない。アメリカが日本を重視していた時代は、日本の経済のウエートが大きく、日本がアメリカの為に利用できた時代である。しかし、中国の経済が日本を越え、将来見通しとして経済価値がはるかに高い。日本がアメリカにすり寄った所で、アメリカの態度が日本重視に戻ることはないと考えて置いた方が良い。それが普通の国家間の関係だ。その意味では、鳩山政権の東アジア経済連携の模索は、理にかなった政策だった。ところが、アジアの一国である日本の立ち位置を、脱亜入欧の考え方を引きづっている為なのか、再軍国化の為なのか、近隣諸国との対立を煽る勢力がある。
それは歪んだ国粋主義の反映なのだと思う。過去の敗戦による傷ついた愛国心を奪還しようという思いではないだろうか。安倍政権は中国への対抗心を燃やし、中国包囲網としての、インド、ロシア、アセアン諸国を歴訪し、反中国的連携を取ろうとしている。一つの外交戦略ではあるのだろうが、すでにウクライナ紛争で、失敗は明らかになってきている。アメリカの中国寄り政策が、日本の努力にかかわらず進行している。アメリカとの集団的自衛権は今更のことで、たとえ無理強情に憲法解釈を変えたとしても、良いことは何ももたらさないはずである。集団的自衛権の解釈を変えたら、ウクライナに参戦するのだろうか。ロシアとヨーロッパの綱引きのなかで、ウクライナでは革命と言っても良い政変が起きた。イラクやエジプトとよく似ている。悪いものとさらに悪いものを較べても無意味である。こうイラクから来た人が語っていたのを思い出す。ウクライナの政変の結果が、選挙の結果を覆している。国家の方向を失っているとしか思えない。
こうした、未熟と言っても良いだろう民主主義国家に対して、世界中が引っ張り合いをする。かつての日本も行ったように、未熟国を救済するというような理屈付けで、各国が紛争に介入する。ロシアは武力を用いて、ウクライナの権益を守る態度に出ている。安倍政権はこういうときに、ロシアに対して何を発言できるのだろう。中国問題を抱え、アメリカの顔色を見ながら、現状呆然としているだけだ。もし、アメリカが軍隊を出動し、集団的自衛権があるのだから、日本も軍事介入をしろと言われたら、どうするのだろう。憲法の制約があるなどという言い訳も聞かなくなる。世界は直接的戦争はできなくなっているが、代理戦争のような形は、むしろ頻繁に成ってきている。ウクライナの背景にあるものは経済的危機だ。EUにすり寄る方が経済的に有利であるか。ロシアに留まる方が有利であるかだろう。今やイデオロギー的な問題ではない。
世界経済はアメリカと中国に向かっている。日本経済は徐々に国力に見合った所に落ち着く。日本には特別な資源がある訳ではない。由一人的資源だろう。この人的資源は江戸時代の農村社会が生み出した、観察力に優れ、勤勉で、道徳心に優れ、譲り合い、共同できる、国民性にあった。ところがこの特別な資質は年々薄れ、世界標準に近づいている。その結果、落ち着くところに落ち着くはずだ。それは、オリンピックでみたとおりである。日本選手は見事な活躍をしたが、それは世界各国の選手もそうであり、日本だけが特別ではないということである。経済も同様で、競争に勝たないでも、普通にやれる道を探さなければならないはずである。日本がアジアの一国であり、信義を重んじ、信頼できる国であるということを示してゆく。外国と対立するのではなく、許し合える国づくりを目指す。相手の問題点を言い募るのではなく、自らの問題点を反省することだ。政府は国民にゆがんだ対抗心を煽ってはならない。