東電に対する国庫負担

   

桂林 漓江下り  10号 桂林から陽朔までをゆっくりと川下る。船の上で食事をする。絵を描いた。何故今に成って、競輪の絵を持ち出してみているのか。絵画の精神性のようなものを、絵から現われる世界観のようなものの意味があるのかもしれない。しかし、今はあまり考えないで、ともかく描きたいものを描いてみる。

東電は経営破たんしているはずだ。東電が企業であるとすれば、原発事故で経営は終わったのだ。自分の力で再建できない事故を起こした。それはどの電力会社でも同様で、企業リスクを考えれば、原発推進など出来るわけがない。現在、東電は柏崎刈羽原発の再稼働を、会社再建の基盤に於いている。政府も同様の考えのようだ。東電に対する国庫負担をこれ以上増やせないからである。もし再稼動しなければ、莫大な維持そして廃棄費用を考えなければならない。そのいみでは原発再稼働が一番格安エネルギーに成らざる得ない。後の放射性廃棄物処理のことや、もう一度起きるかもしれない事故のことを考えなければ、そうなる。すべて、自転車操業の日本経済の、目先の、当面対策である。中長期のことを考えれば、原発ほど高く付くエネルギーはない。これは福島事故が今証明している現実である。この現実を見ても、見ようとしないのが、政府と、東電である。嫌なことは見ない、考えないというのは人間の常ではあるが、未来世代にこれほど始末の悪い核廃棄物を残してゆくのは、犯罪ではないか。

東電の経営破たんは政府が国庫負担で、乗り切ろうとしている。つまり、東電は我々の税金で、救済している。と言っても最終的には、電気代で返すことになるのだろう。燃料費で東電の経営は苦しくなるとしているが、その前に事故でつぶれたのだ。すべての原発事故の処理費を、電気料金に上乗せして、高額なものにすべき電気事業法という法律がある。ところがそれでは、東電が経営破たんする。住民は電気代が高くて耐え難い。政府はどんどん東電への国庫負担を増加している。汚染土壌の除去、汚染水対策、すべてを国が行うことになってきた。原子力事業が国策であったのだから、仕方がないということなのだろう。こういう状況をみると、もう一か所で事故があれば、日本は耐え難い状況に陥るだろう。事故が次に起こる前に、何とか状況を整理して、方向を定める。これが普通の考えだろう。競争に負けるにしても、選択がない。

まず放射性廃棄物の処理である。政府が候補地を決めて、半強制的に進める方針らしい。今原発をすべてやめるにしても、放射性廃棄物の処理は残る。莫大な費用が必要になる。この費用は電気料金に上乗せされるということになる。本来これが筋道で、その分電気料金が上がる。こうして、正当な原子力発電の経費が見えてくる。他の産業であれば、困るからといって、税金で助けてくれるというようなことはない。電気代が高く成り過ぎて困るというようなことは、国民の生活ということもあるが、基本はグローバル企業の国際競争力である。いつもの、海外生産拠点の移転につながる。国策で電気代を極端に安くする国もある。しかし、日本という国の条件を考えなければならない。原発立地に向いていない。世界でまれに見る地震国である。火山列島である。

東電の中に、原発専門会社を作るのがいい。東電は分社化と、福島第2の廃止を認めた。廃止を認めるということは、廃棄費用を経営計画に盛り込まなくてはならないので、決算できないということらしい。しかし、これも政府が特別扱いをした。銀行もすごいお金をつぶれる会社に貸し出している。普通の企業ではありえないことが、特別な扱いで許可されている。電力会社はまるで、役所の一部門のようだ。違う電力会社があり、選択できるなら民間企業である。電気料金が高いから、日本経済の競争力がないというのは、デマに過ぎない。もし、企業に自由に発電が出来るなら、企業自身が原子力発電すら行うはずだ。自分で発電するのが安いのであれば、工場に発電設備を作るはずだ。電力会社の経営は、民間企業とは言えない。税金の投入とともに、政府の意図に沿った経営者が送り込まれる。矛盾を抱えつつ、経営破たんの道を歩み続け。しかも、政治献金は行う、周辺対策費を垂れ流す。公務員より良い給与をもらう。

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