田んぼの雪の消え方

   

妙高岳 妙高岳はどこからでも描きたくなる。良い角度、方角があるということはないのがおもしろい。やはり雪がある時が良い。春先の雪が消え始めた頃は、特に面白い。私の場合、ともかく近づいて描きたくなることが多い。

今朝は雪が30センチある。小田原に来て一番の雪だっただろう。田んぼでの雪の消え方を楽しみにしている。田んぼの土壌が冬の間暖かいということは、大切ではないだろうか。雪国では、積雪で土壌が守られているようだ。冬の土壌の状態を雪の消え方で判断するということを、自然農法の石綿さんは写真撮影をして説明されている。今ある雪で、もう一度今年の雪の消え方を撮影してみる。その雪の消え方が遅い事例として挙げられたのが、その頃私がやっていた田んぼだった。それでよく考えてみたのだが、その写真の事例は、地温ではなく、土壌の草の状態にあると私は考えた。先日も、久野で雪が降ったので、田んぼの雪の消え方をあちこち見に行った。案の定、石綿さんの田んぼは今年はいつまでも雪が消えない。むしろ、悪い事例として挙げられた、お隣の田んぼはすぐに雪が消えた。実際には雪が消える姿は、様々な要因がある。土壌表面の状態で大きく変わる。秋起しをした場合と、しなかった場合では、当然違う。観察してみるとこの違うにもいろいろあって、単純なことではない。単純というのは自然農法でやっていれば、微生物が多くなり、地温が上がり、雪の消え方で判断できるという考えである。

藁を播けばその上は雪は消えない。草が生えていればその上は雪は消えない。水があれば雪は消える。欠ノ上の田んぼは、お隣は秋起しをした。私達は秋にソバカスを播いて、秋起しはしない。それこそ雪は私達の所はすぐに消えた。お隣は2日立っても消えなかった。土を大切にするには秋起しはあまり良いことではない。乾土効果ということが言われるが、抑草にはいいのかもしれないが、土壌を育むためには、表面に草があることが大切である。冬の間、土壌が育まれるためには、どんな条件が必要か。小動物や、微生物の餌となるものが豊富にあること。腐植質が沢山あり、土壌に間隙があること。環境がかく乱されないことも大切だと思っている。藁や落ち葉や草で、土壌の表面がおおわれていることも、大切なことである。舟原田んぼでは、藁を広げて薄く全体に播いた。その上から、ソバカスを播いた。こうした成果の蓄積は、翌年では結果が出ない、何年かやっている内に、土壌に粘りが出て来たとか、水を入れた時のミジンコの大量発生が起きたとかいうことにつながる。

そうしたすべての結果が収量に反映する。収量は低いが、お米に不思議な力があり質が良い、などということは、私は信じない。化学肥料を使う稲作とは全く別である。自然農法では、むしろ、収量と米の品質は比例する。5俵以下の田んぼのお米は、質も良くない。粒張りが良い上に、味がさわやかで甘味があるお米は、収量も良い。草がある方が品質が良くなるという経験がない。稲には、草はないほどいい。良い田んぼになればなるほど草は少なくなる。それは水を入れた後の、トロトロ層が良く形成されるからである。トロトロ層の形成には、相当に長い年月が必要である。一番が腐植質の蓄積である。耕作放棄された田んぼはすごい腐食があり、ここに糠を播くとトロトロ層が一気に出来る。これを継続してどうやって耕作法により再現するかである。稲があるということは、土壌から大量の要素を取り出すことになる。これが安定して加えられなければ、土壌はやせてゆく。

田んぼではそれを、水が土壌を豊かにしている。山を母とするのが、田んぼだ。水を生かすための腐植の投入ということが重要であろう。稲藁を田んぼに戻すということは大切ではあるが、生の稲藁が土中に入ることは、その分解が水を含んだ酸素不足の土中で行われると、土壌に悪影響を与え、土壌の腐敗に繋がる。地上で分解された稲藁が、堆肥となり、土壌に入ることが大切である。これを冬の間に行うためには、稲藁の分解する窒素が必要となる。堆肥化された稲藁が、春に土中にすきこまれることは、土壌の補給に成る。雪の消え方は確かにバロメーターになるが、単純にそれを基準にすることはできないということである。雪の消えにくい状態ガいいという場合もある。結論としては、雪の消え方と地温とは別物ということ。冬の地オンの上昇は重要である。これは計ってみる以外にない。

1日目のI田んぼ

1日目のSの田んぼ

2日目のI田んぼ

2日目のS田んぼ

3日目のI田んぼ

3日目のS田んぼ

 - 稲作