維新橋下氏の違和感
平戸 10号 以前掲載し絵と同じ場所で描いた一枚である。もう一枚ある。何故このように違う絵に成るかが興味深い。ともかく今は、描くことに専念する。
橋下氏は大阪市長を辞任して、出直し選挙をやるらしい。当人は大義があると力んでいる。慰安婦問題を発言した時も同じだが、掴みはいいのだがあのときは、謝罪や取り消しもあったはずなのに、NHK会長に便乗して、又余計なことを発言した。大阪都構想との関係らしいのだが、今辞任してまで問わなければならない、切迫感が世間的にはない。焦りが生じているのだろう。しかし、日本全体からみれば、状況判断は間違っている。大きな方向性のない思いつき政治という弱点をさらしている。大阪都構想を宣言して、大阪市長に成った人だ。何度出直し選挙をやろうが、議会の構成は変わらない。自分の人気をよりどころに行動している。愚かなタレント政治家にしか思えない。これに比べれば、名古屋の市長の方がはるかにましだ。議会が動かない時に、議会の解散のリコール運動を仕掛けた。議会をリコールして、市議会議員を入れ替える。これ以外に議会が変わる方法はない。それが民主主義の普通のやり方だろう。しかし、今大阪市議会が選挙をやれば、維新が減るだけだろう。
実は問題の焦点は公明党である。最近の日本の政治の鍵を握るのは、公明党の信仰票である。浮動票ばかりの政治状況の中で、確定した票があるということが、政治を動かしている。例えば、表面的には安倍氏と創価学会の池田会長では、憲法に関して考えが違う。この考えの違う人が一緒に成って、実際の政治を動かしている。自民党の衆議院の候補は、創価学会の票を貰わなければ当選できないという人も多い。今行われている都知事選挙もそうだ。創価学会票が、どこに行くかで当選が決まる。もし、創価学会が自由投票になれば、選挙結果は世間的な実情に沿う。最近行われた、沖縄の名護市の市長選挙がそうだ。自民党がどう頑張っても、創価学会票がもらえなければ、当選が出来ない状況が生まれている。創価学会が、辺野古移設に賛成すれば、末松氏が勝利しただろう。自民党は国会運営としては、議席数で、創価学会を無視しても良いのだが、創価学会の票が自民党から離れてまたどこかにくっつけば、今の自民党の議席数は3分の1は減る。これが小選挙区制だ。
大阪市議会でも維新に対して、距離を取った公明党がキャスティングボードに居る。自民党は寝技が得意だから、公明党に負けていない。むしろ、安倍政権は公明党を軽くあしらい始めている。ところが、橋下氏のような単純な売られた喧嘩を買う人は、簡単に公明党に押し切られる。維新の会は、両代表が、めちゃくちゃの行動をとっている。人気だけでは政治はだめだということだろう。2重行政の無駄づかいを正す道は、都構想だけではない。現状の中で、やれることをやり、その実績をもとに、次の市議会選挙を頑張ればいい。それがまっとうな政治だ。区割り案の段階でぐずぐずしているのは、各党反対はしていないが、つぶそうということだろう。政治は時間がかかるし、間尺に合わない。テレビのようにはいかない。議会で過半数を取れなかった。その結果橋下氏は公明党に依存したのだ。公明党と連携することで、橋下独善をやろうとした。これは安倍氏と同じ構図。公明党に逆らうものは、生き残れない日本の政治状況。巧みな創価学会の動き。
大阪市民は選挙に行かないか、白票を投票すればいい。無駄なことを思い知らせてやればいい。結果として橋下氏は当選はするが、支持はされていないという状況に陥る。そして辞任するだろう。又選挙である。何とも面倒くさい断末魔のあがきであろうか。それくらいなら、辞任するのは今でしょう。公明党は人の尻馬に乗るのではなく、自分の政治を行うべきだ。そうしなければ、日本の政治は悪くなる一方である。現世利益とアベノミックスは確かに似ている。最近、維新から明治にかけての宗教組織の取った行動を研究した本を読んでいる。つくづく宗教組織の恐ろしさを思う。宗教兵まで動員して、あっちに着いたり、こっちに着いたり、自分の宗教が生き残るため、有利になるためなら、人殺しなど何でもないという宗教組織。オーム集団と何ら変わらない。日清戦争、日露戦争、その都度人を出すか、金を出すかで、政権にすり寄る行動をとった日本の宗教組織。日本帝国主義の為に協力する宗教。いつの時代も同様のことが起こる。