田母神氏、都知事選出馬

   

甲府盆地。10号大 筆触のことを考えた絵。子供の頃眺めていたものが出てくる。何故かこの構図が良く出てくる。色の問題と、線の問題。これが墨であるか色になるのか。空の青。下の方の桜。と畑の緑。これはどういう意味になるのだろうか。

田母神氏、都知事選出馬を正式表明した。それを支持しているのが、元東京都知事の石原慎太郎氏という形で、これではまるで辞めた猪瀬前都知事と瓜二つではないか。どうも石原氏は、橋下氏との場合もそうだったが、人を操るのが好きなようだ。尖閣を棚からおろしたことでもわかるように、武力を持たない平和主義の日本の現状を壊すための役割を意識しているのではないだろうか。確かに、石原氏の意図したように日本は動き始めている。大したプロジューサーである。安倍政権の誕生であろう。強い日本を作ろうということなのだろう。国民にあいまいさを捨てさせるという意味では、政治は動き出している。明治維新から第2次大戦に至った歴史的時間と、第2次大戦後の時間はほぼ同じなのだ。明治維新からの時間は富国強兵の国づくりだったのだろう。そして第二次大戦後はエコノミックアニマルの歴史ではないだろうか。軍事力で負けたのだが、経済力で倍返しという訳だ。

しかし経済も陰りが見えた。指導し援助していたつもりの、中国・韓国が追い越し始めた。戦後の日本社会が国の意味を見失う中で、共通価値観としての経済成長神話が崩れた。日本人の、日本の、存立の意味が危うくなり始めている。そこで、もう一度経済を柱に持ち出したのが、アベノミックスである。3,11の原発事故を経験して、普通であれば脱原発が大半の国民の心情である。ところが、安倍自民党は原発再稼働を、原発輸出さえ目指している。つまり、目の前の経済が大切というところに、すべての価値観を戻そうという流れである。結局は人間の本音は経済にあるというのが、判断根拠なのだろう。そして、美しい日本、強い日本、が次なる目標だ。石原氏の思想には、日本人の優越思想が見え隠れする。明治維新以来の富国強兵が、欧米の暴虐によって、挫折させられた。これを見返してやろうという考えである。いよいよ田母神氏の登場となった。

田母神氏も、石原氏も核武装を検討しなければならないということを主張している。これも、尖閣と一緒で、棚から核武装論を降ろして、政治のスケジュールに入れさせようとしている。こういうところで、安倍政権のやりにくいことをやる先導役なのだ。両者の思想では同盟国アメリカと対等になり、核の傘を抜ける必要があると考えている。これがアメリカの掴んでいる情報と判断だ。いずれ思想が明確になってきたことは悪いことではない。安倍氏は徐々にその本質を表し、予測した通り、軍国主義的傾向を強めている。その意味では、安倍氏は田母神氏を推すべきである。石原氏と同様に、党とは別に田母神氏を推さなければその本質は明確にならない。ここをごまかすところが、安倍氏の不明瞭な所だ。経済優先で肝心の議論を避けてしまう。まあ、これを許すところが現状の日本の劣化である。経済が良くなってから、軍国主義にすればいいという考えなのだろう。そうすれば憲法だって変えられる。国民はどうせ、花より団子だ。と思っている。こういう背景があるから、諸外国から見れば、総理大臣の靖国参拝は、ヒットラーのような狂気の独裁者に尊崇の念を抱いているのと同じに見えるのだ。

今回の都知事選では、右の方から田母神氏、その間に、舛添氏。そして、脱原発の細川氏が立つことになるか。左の方に、宇都宮氏。舛添氏本来の主張は脱原発である。その考え方を自民党は支持するのか。これが分かれ目である。自民党が何となく積極的に成れないのは、この点である。曖昧なら、案外細川氏になるのかもしれない。安倍氏や石破氏から見たら、舛添氏ですら左寄りの人物だ。本来なら、安倍氏が推薦したいのは、核武装の田母神氏。憲法改定問題と変わらない重要なカギが、原子力エネルギーの問題である。これは文明の方角を左右する問題である。単なる、電気や経済のことではない。人間がどこに向かうかにかかわるような人類的課題だと思う。都知事選も、名護市長選挙も、日本の方向を決める選挙になるだろう。後になれば、あのときだったと思う日が来るのだろう。

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