農業の大規模法人化と地域

   

TPPはよほどのことがない限り締結されると見なければならない。稲作農業はさらに厳しい状況になる。現在大規模化を進めている大規模農業法人は、おおむね地域維持という目的と連動している。地域の農地が放棄されてゆくことを食い止めるために、多様な手法で経営がなされていると言える。地域、地元意識が、集約化されにくい性格のある農地の集約を進めてこれたともいえる。そのためもあり、地元の農業者が中心になり運営される農業法人では、現在でも利益の出にくい稲作を引き受けている。その穴埋めが、補助金であり、畜産や、果樹、花卉、野菜、6次産業化や直売の複合経営で何とか乗り越えてきてきている。こうした地域経営と直結した農業法人と今後進出が予測される、企業的経営の農業企業の進出がどのように競争をしてゆくかである。企業的な進出は、背景にスーパーや食品産業という販売ルートを確保した形の直売方式の可能性が高いだろう。この時地域維持という理念が、農産物の競争原理で、崩れる可能性が高い。

農業分野に、企業としての競争原理を取り入れることは、一面から言えば望ましいことである。しかし、農業が地域の暮らしと連動する形で、維持されてきたこととどのように、調整が図られるかには課題がある。小田原での地域の活動はすでに稲作農業との連動はほとんどない。田植え時期や、稲刈り時期に、地域のお祭りは行われている事からもそのことがうかがえる。たぶんこうした傾向は、今後日本全国に及んでゆくのだろう。本来稲作との慣例で執り行われてきた、地域の祭礼が稲作から離れてゆく。気持ちが稲作から離れ始めてゆくということになる。農業法人の社員が、地域の祭りに出なくなるということが書かれていた。経営とか、経済の動きばかりが重視され、競争原理で動くことになれば、大規模化で地域を守るという地域型農業法人の理念も、見直さざる得なくなる。国際競争力があるというだけが稲作の目的化とされ、不利益な農地を含めて地域の維持のために、農地の請負や、集約をしてきた農業法人は経営困難に陥る。

八郎潟や北海道のような、大規模化に有利な農地において、企業的稲作がおこなわれて、価格の決定がなされる。そのために地域型農業法人が経営困難に至る。そのことを避けるために、補助金がさらに注ぎ込まれることになる。大潟村には大型農家が50軒だけ残るのが適正規模だそうだ。地域としてのコミュニティーが失われる地域で、人が楽しく暮らせるものだろうか。確かに、企業の論理であれば、暮らしの存在など問題外のことになる。とすると、2極化以外にないだろう。生きがい農業とか呼ばれる、兼業稲作農家と。徹底した経営だけを考える生き残る農業企業である。現在、地域を思う有能な農業者が、立ち上げ経営を模索してきた、地域型農業法人は大きな選択を迫られることになる。経営本位になって地域の福祉的な側面を切り捨ててゆくのか、企業農業の進出を阻止するかである。たぶん現在の農業法人経営者たちは、そういう選択をする人たちではない。そして、困難を引き受けるのだろう。

無機的なともいえる、企業農業がどのように日本に根付くのか。果たして可能なのかどうかも考えてみる必要がある。給与さえよければ、農業法人で働く若い人はいるということになっている。果たして、本当にそういうことが続くのだろうか。農業は地域社会や環境の維持と密接に関連して維持されてきた。山が豊かであることは、農業にも漁業にも大切なことだ。しかし、そうしたお金にはならない地域の維持を含めて、今までの農業は存在してきた。しかし、企業が農地を取得し、儲からない部分から、放棄する。あるいは転用しようとする。こうした地域の維持とは、関係のない形で、農業がおこなわれるようになった時に、果たして地域というものが崩壊しないか。瑞穂の国の基盤が揺らがないか。経済だけでなく国土は維持されてきたものだ。TPPが妥結されるこの機会に、この側面を今後どのように考えて行くかを、国民運動として考える必要がある。

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