放射能問題 その後
久野の放射能のその後、最近放射能に関して私の認識があいまいになっていたところがあった。Oさんから確認され、もう一度、考えてみた。私のブログにもあるということで、放射能に関して過去ブログの記載を良く調べてみた。なるほど、3,11以降あれこれ考えは揺れ動いている。誤解されるような文章も確かにある。「大人は100ベクレルのセシューム汚染の食品でも、喜んで食べる。」「自己責任で放射能に汚染された食品も食べるしかない」というのが、私の自身の行きついた結論であった。これ自体は当時も、今も考えは変わっていない。他の人もそうすべきだとは考えていない。ここが誤解される部分だったかもしれない。ブログを書いていると、他の人がどう受け止めるのかの配慮が足りないこともある。100ベクレルに至ったのは、過去の核実験の日本の汚染の経過の経験から、この程度なら、何とかなる範囲ではないではないかと考えた。つまり、核実験による汚染があったにもかかわらず、日本人の平均寿命は延びた。小田原なら自給を続けても問題はないという判断をした。
政府がその後100ベクレルに変更したのに、びっくりした記憶がある。安全という意味ではなく、そのリスクを引き受けるか、移住かの判断基準である。判断したら後は不安を持ちながら出なく、喜んで食べると決めた。ただし、大人という範囲であり、子供は限りなく少なくすべきだとも考えた。それは10ベクレルぐらいだろうと考えた。成長期が放射能の影響に敏感らしいということ。加えて子供には何の責任もないということ。こういう考えに事故後の秋ごろには至り、このブログに書いた。食品残さの堆肥を作り、50分の一ぐらいに濃縮したものを測定してもかなり低かった。行政の調査でも、不検出、われわれ自身の調査でも予想以下のかなり低いものであった。当時は段ボール堆肥の活動も、放射能で基材の販売は中断せざる得ない状況だった。いずれ、放射能に関しては、科学的な結論がないからである。誰もがそれぞれに判断するしか方法がない。私は私の判断の基準としてこういうラインを引いたということのつもりだったが、人によっては基準を主張していると受け取ったようだ。ブログ全体を読んでもらえばそうでないことはわかってもらえるのだが。私自身ブログを読み返しての放射能汚染に対する考えの変遷が分かった。ブログを書いていて良かったと思った。
農の会のような活動になると、共同の活動がある。100ベクレルの土壌の畑に子供を入れるべきではないという考えの人も当然いる。すべては自己判断する以外ない。そのことが排除につながったというか、対立のもとになった。共同で作業する畑は、土壌測定を行い参加者にお伝えする。しかし、毎年行わなければ、納得出来ないということで2回か3回行ったところもある。田んぼや、くぼみの畑であれば水が入り込み、セシュームが溜まる可能性のある、しかし、田んぼでも土壌のセシュームの数値が高くなるようなことはない結果になっている。むしろ、セシュームの減少速度以上に、どこかに流れ去るのか、たぶん川に行き海に行くのだろうが、減少は早い。しかも、今回の事故ではない放射能の、いまだ残っている放射能の測定がされるらしいということも見えてきた。核実験、チェルノブイリの事故、世界中放射能汚染が存在する。高い場所では、いまだ、100ベクレルに近い土壌の場所もある。ただし、時間とともに土壌の何かとの結合が強くなるのか、作物は不検出になることが多くなった。
以上が久野の放射能の現状と自分の対応である。肝心なことはほとんど書いていない。というか書く訳にはいかない。放射能のことを書くだけで、風評被害が広がるので辞めてもらいたい、という意見がある。確かに0でなければ食べないと決めている人に対して、この地域の農業を守るということは不可能である。今回も具体的な数値は避けている。自給する以上、喜んで自給する以外にない。土壌を汚染されたことは、これ以上苦しいことはないが、出来る限りの対応をして乗り切る以外にない。忘れていた方がいい。それがこの土地で生まれ、この土地とともに生きている地元の農業者の一般的な気持ちだとおもう。原発事故によって、私の生き方が問われた。原発事故は起こるべくして起きた。日本人すべての責任である。「地場・旬・自給」の理念も問われた。そして、誠実に判断をしたつもりであるが、その中で矛盾が、逃げが、問われていることなのだろう。