「正しい」歴史認識

   

2005年8月15日に、内閣総理大臣の小泉純一郎が閣議決定に基づいて発表した声明がある。「戦争の惨禍で命を落とした者への哀悼と、不戦の決意の表明から始まり「植民地支配と侵略」によって諸国民に損害と苦痛を与えたことを認め、謝罪と哀悼の意を表するとともに再び戦争を起こさない決意を表明している。これは、敗戦50年に行われた、村山談話を踏襲するものである。わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。日本という国は、植民地支配と侵略の過去を認め、痛切に反省し、東アジアの近現代史を協力して研究して行くと、国際的に誓いを立てた。

安倍首相は国会答弁で、村山談話を踏襲しないような発言をした。しかし、今回菅官房長官が内閣として、村山談話を受け継ぐと改めて発言した。本来であれば正式に安倍氏が談話を出すべきだろう。自虐史観という言葉がある。自虐的に、自分をわざわざ悪者にして、蔑みの歴史観ということだろう。侵略という認識が、自虐史観だと石原氏は述べている。過去の過ちを認め反省することと、日本人の誇りとは別物である。安倍氏は歴史認識は学者に任すべきだと国会で述べたが、これはおかしい。歴史認識は日本人一人ひとりが持つべきものである。私の歴史認識を書きたいと思う。明治以来の、富国強兵、脱亜入欧の姿をどう考えるかである。江戸時代の完全否定に日本の存在価値を見ようとしたところに、明治政府の失敗があったと考えている。革命政権が過去の社会すべてを否定的にとらえるということは、ありがちなことだが、大切な江戸時代の自給的な人間の暮らし方まで変えようとしたことに間違えがあった。

これが、明治以降戦争を繰り返してしまった主原因だと考える。ヨーロッパの植民地主義が諸悪の根源で、アジアの独立のために日本は立ち上がったんだ。こういう主張が広く言われている。日本人の中には、白人の暴虐に対し、正義の戦いを挑んだ歴史認識の人は結構いるだろう。そう見えないこともないが、むしろ、白人の圧力を跳ね返し、間隙をぬって、アジアを植民地化しようとしたという歴史認識がある。両方の気持ちがあったのだろう。ひと儲けするために満洲に渡る人、大東亜共栄圏の正義の夢に掛けてアジアを雄飛する日本人もいる。側面によってさまざまに見えるというのが、歴史認識ではないだろうか。一辺倒に考えるべきでないのだろう。鎖国を力で解かされて、欧米の帝国主義に隷属されないように頑張ったところまでは、明治政府も大したものだと思う。その頑張れた主因は江戸時代に作られた日本人の優れた能力である。何も、富国強兵の結果だけではない。

重要なことは、日本人の視点から見た歴史認識と、朝鮮、中国からの視点による、正しい歴史認識は、裏返しになりがちだということである。沖縄が中国に帰属するという意見が中国にある。沖縄に暮らす人間は、一貫して日本民族である。過去、中国に朝貢したことはあるにしても、日本民族の一員であり、当然そこは歴史的に日本である。互いの未来志向を考えるなら、何が正しいかを、叫び合うことは止めた方がいい。それぞれの時代において、視点において、食い違いは起こるものだ。歴史認識となれば、対立することが当然だ。朝鮮と日本を併合した。教育も日本化し、日本名を名乗らせ、日本語教育も進めた。日本式神社を作った。これらは政府も認める通り、植民地化した歴史的事実である。その背景をどうみるかを含めた歴史認識は、事実を捻じ曲げるようではならない。この点は自虐的云々の問題ではなく、事実の問題である。

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