沖縄こそ日本である。
私は中国贔屓である。大国の人らしい中国人が好きである。最近の中国政府はまるで、北朝鮮と同じようだ。沖縄こそ日本であると感じている。まさに日本であり、縄文時代より日本人が住んで来た地域である。中国には正しい歴史認識を持っていただきたい。尖閣問題で因縁をつけられた時から、いつか沖縄の領有権について、異を唱えるかと思っていた。日本政府は今がチャンスである。沖縄はどこからどこまでも、純粋な日本であることについて、世界にきちっと表明してもらいたい。アメリカに占領されていたからと言ってアメリカではないのだ。中国が多民族国家のためである。民族と国家というものが、別な状況である。そのために、中国人の中にある国家への所属という意味が、日本とは異なる。沖縄中国論である。
沖縄はどこを切り取っても、文句のつけようのない日本民族が暮らしてきた地域である。常に日本国の一部である。中国に朝貢する形でかかわった期間はある。この程度の根拠で領有権を主張する態度がおかしい。それ以前も、以後も日本そのものであり、出土品などからも、日本本土との文化的な交流の深さは、揺るぐこともない。もちろん中国との交流もある。東アジア全体の中での位置づけという視点で、沖縄という地域を確認することが出来るだろう。「グスク文化を考える」には、東アジアとの交流が詳しく書かれている。交流と国家とはまた意味が異なる。朝鮮半島やモンゴルやチベットも同様な歴史はある。それだけで中国であると主張することが、国家の意味を逸脱している。沖縄に難癖をつけるくらいであれば、台湾の国家としての独立を認めるべきだ。国家というものが、どういう歴史のもとに形成されるのか。それは、さまざまな歴史があるだろう。中国の主張する、沖縄が中国であるとの根拠は、中国に朝貢をしたという意味に過ぎない。
軍事的に強い古代中国帝国に対して、恭順を表明し、朝貢する。こうした外交行為だけで、中国であるということを主張するとすれば、問題は近隣諸国全体に及ぶ、ずいぶんとおかしな根拠である。日本民族が、何千年と沖縄諸島に暮らしてきた。それは、文化的にも民族的にもわずかの疑いもない。それが中国の顔色をうかがいながらであったとしても、日本であることに変わりがない。当時の中国の周辺国に対する態度は、今の中国よりよほど紳士的であった。日本や、日本民族というものは、中国のように、支配民俗が頻繁に変わり、国境も時代時代で、大きく変わるような国と違うのである。日本国は世界でも珍しいような固定的事例である。最近の血液の研究結果でわかるように、アイヌから沖縄まで、縄文以来の日本人なのだ。そこに様々な民族が流入したのだろう。中国人も、朝鮮人も、日本列島にやって来たに違いない。しかし、大きな枠の中では日本人に順化してきたのだろう。
弥生人が日本列島に稲作文化を持ってやってきた時代が一番の激動期であっただろう。これが北海道を除く日本全土に広がり、沖縄にも稲作文化が根付く。稲作文化を日本全土に広げていったのは天皇を中心とした勢力であり、のちの大和朝廷と言ってもいいのだろう。その意味で、沖縄に稲作文化がほとんどなくなってしまったことは惜しいことである。「おもろそうし」の研究により、沖縄の古い時代の文化の意味が見えてきたのである。沖縄の風景・天象・戦争・神話について歌われている。1531年、1613年、1623年の3回に渡って集録した総計1554首の歌謡を収めている。沖縄の万葉集と言っ手も良いものだろう。ここで使われている、沖縄古語がむしろ大和言葉の原形を残しているとされている。どうも正しい歴史認識というものが、身勝手な主張のために持ち出されるのでは、残念ながら、中国の国家の品格が怪しげになってゆく。日本も人の振り見てである。