「日本で最も美しい村」賞
「日本で最も美しい村」賞というフォトコンテストがある。私はもっともっと美しい日本の村を知っているので、ここに並んだ写真をかなり意外だと思った。どの写真も美しい風景ではあるが、人間の暮らしの美しさというものが、あらわれた写真が少ない。南極やヒマラヤの自然景観の写真もすごいとは思うが、美しい村の意味での美しいさとは、かけ離れている。村、人間の暮らしの集落の表現されたものがない。美しい村の本来の意味は、人間の作りだした集落とそれを支える田畑や、里山の美しさのことである。江戸時代の集落であれば、どこもかしこも美しい場所であったはずだ。そこにくらす人たちの共通の願いが、美しい村を共通の目標となり、暮らしていた。美しい場所を作るということが、まるで生きる価値観であったようだ。生きる目的は個人のものでなく、集団のものであった時代がある。棚田を作る時のカーブは全体的なものとして、地形や傾斜にしたがって作られる。作業性よりも、その場所に適合しているということが、唯一の方針である。
どの家も、そういう考えで作られ、ひとつの村としての集合体として出来上がったものであった。大体の家が、必要最小限のこじんまりした家だった。私の生まれた藤垈村は1959年の伊勢湾台風のときに、お滝の森の大木まで大多数が倒されてしまった。多くの家が倒れた。田んぼも壊れてしまった。そのあと立て直されていった家は、少しづつ今風な家になった。再建されてゆく思想には集落を表す集合する意思のようなものは消えていった。それまでの子供のころの山梨の藤垈は集落が形成された時代の感覚がまだ残っていた。隣の大久保も、沢一つ越えた、小黒坂もそのような集落であった。そうした部落が集まり、境川という村になっていた。どちらかと言えば、豊かない地域ではなかったと思う。しかし、美しい村という意味では、その貧しい時代の方が美しかった。一体美しさというものは、どういうものなのだろう。田んぼの畦が、多様に曲がってたことには、自然の地形や、推理の関係から来るものもある。そ権利関係から来るもの、さまざまな要因で曲がっていたのだろう。その曲がり方が、多様であるから美しいということがある。
機械化された農業では、区画は定規で引いたように、まっすぐなコンクリート畦である。この機械的合理性を美しいと、私は思わない。山の林道でも、山谷の地形に合わせて、うねうねと作るしかなかった。ところが、大型機械が山に入れるようになれば、大量の土砂を動かして、山を削り、谷を埋める。こうして、直線的なコンクリートに固められたスーパー林道が作られるようになった。これは美しくないと思う。ところが、こうした自然を軽視した人工的なものを美しいとする人たちもいる。欧米の思想にはそういう傾向がある。後期印象派の西欧美術が、日本の江戸時代の美術の影響を受けたのは、美の基準である。自然を克服する暮らしではなく、自然と融合する暮らしの美しさである。ここまで自然を破壊しつくして、今思い返さなければならないのは、自然の中に生きる道である。
大多数の日本人が、合理性や、競争力に流れてゆくのはやむえないとしても、日本という国の美しさの根源を思い返す必要がある。不便で、厄介な暮らしに見えても、むしろ、そこには人間の美を育てていた暮らしがある。その意味では、農民は環境美術家だった。美というものの思想を、作り直さなければならないと思う。美は倫理的な意味でもある。現代美術と言いながらも、一つも美しくないような世界である。何が美しいのかを問い直してみる。これが次の日本の方角を示しているはずだ。美は水土にある。水土の姿に倣えば、美しい村をまた作り出すことが出来る。川は無理をしてコンクリートで固めない。豊かな山を作り出すことで、美しい川を作る。水土の総合性を模索する。美しい久野里地里山協議会では、久野川の上流部の河岸を整備して行く活動が始まる。