情の日本人
日本人は情の民族と言えるのではないだろうか。東日本大震災でも、情に基づく素晴らしい支え合いが、いたるところで見られた。しかし、忘れっぽいというところも熱しやすく、冷めやすいのも情ということからきているのだろう。人情とか、情熱とか、愛情とかに情という言葉は使われる。「知・情・意」という風に人間の心の成り立ちを分けて考えたのは、カント。真・善・美に対応させている。知は真である。知性、知識、知恵。意は善である。思い、意思、方角。情は美である。感性、受動力、芸術表現。という風に考えられる。日本人の特性は、美に基づく民族といえるのではないか。日本人の芸術的能力は高い。年賀はがきが、版画表現になった。画材の消費量もかなり多い国だと思う。俳句や、川柳を作る膨大な数の詩人もいる。武士道であれ、学問であれ、美しい生き方というものが念頭にある気がする。江戸時代の百姓は美しい景色を作り出すために、働いていているようにも見える。部落のたたずまい、山や川のすがた。すべてが美に向かっているともいえる。
情の深い人だとか、情のこわい人だとかいっても、入学試験の対象にはならない。情というものは生きてゆく上では、決定的なものにもかかわらず、知や、意に比べ評価対象になりにくい。そして国の行く先さえ、情に棹さし、流される日本の社会である。義理と人情を秤にかけて、実際には日々を生きている。ところがこの情というものは、動物すべてにある本能と結びついていて、なかなか学ぶことができない領域である。絵を描いていて、美というものを常々考えているが、情から来る美と、知、意に支えられる美というものをどう見るかが難しい。日本人が情に動かされやすい民族というのは、本能のままの状態から、抜け出さずに歴史を来れたということなのだろう。大陸の国家は異民族との接触の中で学ばざる得ない中、情に流されずに、知に、意に従うことを覚えたのだろう。江戸時代は意を掲げた時代である。情を抜けなければという気持ちが表れている。目的意識、武士道とか、儒教的道徳意識のような社会の規範に従って生きようとした時代である。そして、明治期に入り、知の優先させようとする時代になった。人類共通の価値である知識というもので、日本の存在を確立しようとする。
しかし、意の時代も、知の時代も、情動による行動を乗り越えるまでにはならないままきたのではないか。現代でも、いざとなったらば情で動こうとする日本人が現れる。このことが悪いというのでなく、実に危うい感じがする。韓国が竹島を主張する時、中国が尖閣を主張する時、いつも戦略が見え隠れする。それに反して、日本人は感情的に反応してしまう。そのために、外交上はまさに手玉に取られる感がある。日本人はキューピーゴム人形のように、どこを押せば、どう泣き出すかは見え見えであって、表情を見せずに行動するということができない。日本政府も国民のこの感情的性格を、利用しながら政治を行おうとする。小泉劇場である。安倍氏の経済政策すら、感情論に見える。電通方式である。大きな国の方角を定めることなく、そうしたものを隠したまま、情に訴えて意を通そうとする。
学校教育は知育が主体である。読み、書き、そろばん、である。現代社会では、人間の利用価値のように知識量が人間の序列になっている。そのほかのものは教育によって育つようなものでもない。意は自分が決めることなのだろうが、極めて総合的な結果である。最も学習しにくいものが情であり、美である。芸術と美は関係があるのかどうかすら危うい。美術は学校教育にもある。これは図画工作であるのだが、美術と呼びたかったのだと思う。そして、日本人的に、稲作を通して培われてきた、情が変質してきている。日々失われてきているものだろう。もっとも学びにくい、日本民族としての情の世界を失おうとしている。本能的なレベルの情の世界に、先祖帰りしようとしている。たぶんそういうことをいま日本人は学んでいる時代なのだろう。お人よしではだめということになったとき、日本人はどういう共通価値観を見出すのだろう。