川柳
江戸時代の素晴らしさをあれこれ書くことが多いいのだが、その中でも川柳ほど素晴らしいものはないと思う。人を笑わかすほどすごいことはない。世界最短の詩形でありながら、何度思いだしても笑えるのである。5・7・5の俳句ができたのも江戸時代だが。芭蕉が言う、わび。さび、かるみ、の先にあるのが、川柳の笑いの世界ではないだろうか。芭蕉はかるみに到達したわけだが、それをお茶らけまで持っていった、江戸庶民力の素晴らしさ。お茶らけをもう少し文学的にいえば、滑稽とか、諧謔とかいうことになるのだろう。そもそも連歌が作られたのは、平安時代の貴族文化である。それが、形式化して陳腐化し衰退する。それを俳諧連歌として、復活させた江戸時代。その中興の祖のようなものが発句を独立させた芭蕉。しかし、その背景に大きく存在する江戸の庶民文化としての俳諧の世界。集団芸術の中から生まれた、究極が川柳ではなかろうか。川柳は俳号である。250年前の「降る雪の 白きを見せぬ 日本橋」ここからだそうだ。
実は風呂屋のテレビで川柳の話をやっていた。「きつくなる 目つき 性格 腹回り」これには笑ってしまった。一つ作ってみようと思った。なかなかできない。難しいものである。「日帰り湯 箱根熱海か 登別」本当のダサクである。頭が固くなっていることが自覚される。学生の頃、大学の寮にスキーに行って、夜、俳諧連歌をみんなで作ろうということになった。100句忽ちに出来上がった。花の座とか、月の座とかあったはずだ。それなら、もう少し、決まりに従ってやってみようと少し勉強した。ところが思いのほか難しくて行き詰まった。それでは自由にやる方がいいということで、どんどん付けてゆくだけにしたが、しばらく部室で流行した。これがいくらでも湧いてきた。駄作であれ、湧いてくるということが若いということだったと思う。今はまるで違う、何も浮かばない。頭が退化していることが明らかである。
そうせめて、毎日1句川柳を思い浮かべる。これができるようになれば頭の体操には、素晴らしいことだ。最高の頭脳ゲームである。調べてみると、インターネット連歌というものがあちこちにある。インターネット世界にはいくらでもあるようだ。「母の味 ラー油の次は 塩麹」第一生命のサラリーマン川柳のひとつである。100句が選ばれていて、その中で面白いものを誰でも投票できるようになっている。選者になって選んでみるだけでも面白い。
「お若いと言われて若くはないと知る」
「子も子だが親も親なら国も国」
「ドラマでは私住む街左遷の地」
「三年も我慢したのは石の方」
「ゴミ収集の前日わが家スイカの日」
「その夢にあんたもいたと妻が泣く」
「花の名を聞いてケンカの仲なおり」
以下は俳諧連歌について参考になりましたので、日本辞典から転記させてもらいました。
「発句(ほっく)」 連歌の一番最初、第一に読まれる句であり、連衆に対する挨拶句とされ、必ず季語・切れ字を入れる。特別な客がいる場合はその人が詠む。 発句、脇(2句目)、第三(3句目)は「三つ物」と呼ばれて重視されている。
「挙句(あげく)」 発句に対し連歌を締めくくる最後の句であり、めでたい句となり、1巻を締める重要な句である。「挙句の果て」の語源でもある。
「句数(くかず)」 「春」「秋」「恋」が詠まれた句の後は2句以上は続け、5句を越えない。その他の「夏」「冬」「雑」「月」「花」「新年」などは1句で捨ててよい。伝統的な連歌・俳諧では「春」「秋」の句は3句以上と決められていた。
「去嫌(さりきらい)」 森羅万象の事物(賦物)に関しては、同分類の語(言葉)は定められた句数を隔てれば再度詠んでもよい、というように状況により使用できる語を制限したもの。
「輪廻(りんね)」 同じような発想・イメージ・言葉の繰り返しのことで、これを避けて付句することが望ましいとされる。特に打越(前句の前の句)との反復は「観音開き」と呼ばれて忌避される。
「付合(つけあい)」 前句と付句の関連を抽出して句の付け方(付様)をみるもの。平付(ひらづけ)・四手(よつで)・景気付(けいきづけ)・心付(こころづけ)・詞付(ことばづけ)・埋付(うづみづけ)・対揚(たいよう)などの型がある。
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