地方公務員給与の削減
地方公務員の給与の削減が言われている。当然である。給与を2割削減して、人員を1割増加してもらいたい。国家公務員と比較して、地方公務員は給与が高いと言われているが、本来民間と比較すべきだ。民間の給与は長らく抑えられてきた。高いか安いかは成り手がいるかいないかで分かる。農家の成り手は居ない。公務員は何倍もの応募者がいる。希望者が同じくらいになるまで供与を下げればいい。以前からの主張である。こう書いたら、それでは優秀な人が公務員から居なくなると、言うコメントがあった。つまり現在の公務員の給与は、高給でそれに相応しく優秀だ。本当にそう言えればいい。教員も、警察官も公務員である。民間企業に比べて、優秀な人材が集まっていると言えるだろうか。私には同じに見える。優秀な人もいれば、犯罪を犯すような人もいる。公務員の仕事の見直しをすべきだ。公務員は公務員でなければならない仕事をしてもらいたい。
例えば、私の関心の強いごみ処理で考えて見る。ごみの収集運搬を外部委託している所が多い。昔は、公務員がやるのでは、効率が悪いとよく言われたものだ。今も公務員がやっている自治体もある。以前はごみ処理の半分の経費が収集運搬経費であった。最近は30%位に下がっている。色々の要素はあるが、民間に委託し、競争原理を幾らかでも導入したことで、経費は削減できる傾向にある。しかし、切り替えられない自治体の多くには、労働組合の主張がある。ごみ処理は自治体の専権事項だから、あくまで行政が直接取り組み、その理想を実現すべきと言うような考えがある。果たして民間収集に変えた自治体で民間委託した弊害が出ているかと言えば、そう言う事もない。いずれにしても、ごみ収集の実態と経費との整合性である。安いほどよいというわけでもない、常に行政は適正価格を研究すべきだ。そして民間委託を管理する。
小田原市では市民との協働が繰り返し言われている。現状では市民に肩代わりしてもらえる部分を、市民ボランティアにお願いしようというような、行政の都合のよい協働である。行政サービスを肩代わりしてもらうための、市民参加である。その理由は行政の担うべき役割部分が見えないからである。その結果市民のやるべきことばかりが、強調されてしまう。直接行政職員が行うこと。行政が民間委託して行うこと、そして、市民が自らやるべきこと。この整理がなされていない。まず、仕事を整理し、市民とともに議論をすべきだ。小田原市自治基本条例が24年4月1日に制定される過程において、こうした意見は出させていただいたが、なんら反映せず制定された。市民は、市民はと、自治に於ける市民の役割は強調されているが、では自治において行政の責任とは何か、このことは書かれていない。市の職員は、市民と協働する位に、曖昧に書かれているだけである。
地域において、歴史的に作られてきた支え合いが、失われる過程である。何故こんなに忙しい時代になったのか分からないが、誰しも自分のことで手いっぱいの暮らしである。地域で必要な膨大な福祉的事業の穴埋めをボランティア的に補ってもらおうとしても無理だ。確かに、地域にはそういう心豊かな人がおられ、かろうじて地域が維持されている。行政職員が担えと決めつけてはいけないが、まず大きな枠組みを作るところから始まるべきだ。どのような方式が合理性があり、展望が見えるかを考えることが行政の役割だ。豊富な専門知識を持って、情報の収集をし、提供する。またごみのことになるが、ごみの経費を見えるようにするなどというのは、行政の役割である。こうした役割をこなしているとは言えないのが、今の行政である。すべてを外部委託したところで可能なのが、今の行政の仕事の分担になっている。