尖閣諸島の国有化
野田政権がやっと、尖閣諸島の国有化に乗り出した。東京都が購入するなど、筋違いの話であった。個人所有が危うき状態であることは確かだ。この個人所有者が、中国に売ってしまえば話はさらにややこしくなる。尖閣諸島が日本であることは、能力はないが私なりに調べてみて、日本固有の領土であると考えている。中国や台湾の領有権の主張にはかなりの無理がある。沖縄を中国固有の領土だと主張しているのと変わらない。しかし、良く考えてみれば、国の境というもののは、時代によって変わっている。アメリカはネイティブアメリカンのものである。いつの、どこからどこまでであるかなど、中途半端なもので、変化を続けてきたものだ。ソビエト時代、ウスリートラの標本を見に、ハバロフスク博物館に行った時、アイヌはロシアの民族だという、日本語の展示があった。いつか、北海道はアイヌのものだから、ロシアの領土であるという主張のための布石のように見えた。
領土問題に対する、中国、朝鮮、台湾、ロシア、近隣諸国からの圧力が強まっている。日本の政治の混乱が、日本を脅かす最適な状況という判断であろう。石原都知事のように、自らのパフォーマンスの為に、こんな震災後の最悪の状況下で火に油を注ぐ、先の読めない人間の愚策も災いしている。根本から言えば経済の後退という事の方が、近隣諸国には弱みに見えていることだろう。日本経済が空洞化しているということである。資本というものが国家を越えて、利益に走るようになり、日本が苦難に陥ろうとも自分の会社が生き残れば構わないというような、独善に陥っている。資本の動きが国家利益と反することは、不思議ではない。それにもかかわらず、日本の政府は、資本は日本の為に動いているという大前提で、いまだに政策を立てている。あるいは立てさせられている。その結果日本は格差社会化が深刻化している。社会福祉は崩壊寸前に到っている。それが消費税という事だが、解決できるのだろうか。
領土問題は日本が国として力をつける以外解決の方法はない。間違っても軍事力ではだめだ。大まかに言えば、経済力である。日本国内の経済基盤の見直しである。国力とは、日本人一人ひとりの力量の集積である。消費税の増税は賛成であるが、同時に、どのように格差対策が出来るのかが伴わなくてはならない。私の消費税賛成は、生活の基本的なものは自給すべきという考えからである。自給している限り、消費税は払わないで良い。無駄な消費をしないという意味で、消費税の増税は賛成なのだ。領土問題であった。日本の政権の混乱と衰退を、好機と見て空で旋回をしているのが、禿げ鷹である。尖閣諸島が中国であるとするなら、堂々と国際的判断を受ければいい。国際司法裁判所に、ゆだねるほうがいい。領土問題など、存在しないという建前に固執するなら、領海侵犯を繰り返すという事で、提訴したらいい。
日本の政治としては、東アジア経済共同体構想の推進である。そして、国益というものが、共通化して行けば、解決の道が出てくる可能性がある。しかしながら、この十年間、東アジアの地域協力は、順調に進んでいない。貿易や投資の自由化や幅広い経済連携に越えがたい障壁が発生したからではない。政治が経済の足をひっぱったのである。小泉元首相の靖国訪問により、5年にわたり各首都における日中首脳会談が行われなかった。あれも選挙向けパフォーマンスだ。順調に進むかと思われた日韓の首脳会談は、竹島問題によって何回となく挫折した。最近に至っては、中国海軍の急速な力の拡大と、自国の海洋権益を守るためにはその使用を辞さないという中国当局の言動は、日本政府と国民に大きな不安を引き起こしている。中国の経済力の拡大が、韓国経済の拡大が、東アジア全体のあたら良い枠組みを必要とし始めているのだ。国が不安定になると、領土問題が顕著化する。