ネパール人冤罪事件
東電女性社員の殺害事件で、ネパール人マイナリ氏の釈放が決まった。1万の正しい判決があっても、1つの冤罪事件が起こることが、裁判においては許されないことだ。私自身がその冤罪の当事者になる恐怖がある。この事件の事を詳細に知っている訳ではない。疑問を持つのは、証拠のすべてが、提出されていなかったことだ。DNA鑑定技術の進歩といっても、昨日今日のことではない。今すぐすべての事件の証拠を洗い直す必要がある。怪しいだけで殺人犯にされてしまったマイナリ氏の裁判は、デッチ上げともいえる。つまり、警察、検察は、証拠を洗いざらい出そうとしていなかった。また、証拠を見なをそうともしなかった。証拠主義という建前でありながら、虚心坦懐に証拠に向かい合うという姿勢が、警察、検察にないということになる。思い込みである。不法滞在のネパール人を犯人と思い込んでしまい、何とかその線を固めることだけに捜査が進められたのではないか。
日本人が、海外でこのような形で殺人犯に仕立て上げられたとすれば、外交上の問題にするべきだろう。不法滞在の外国人の犯罪の増加が問題化していた。そうした流れの中で、起きた問題の気がする。これは小沢事件と本質は同じだ。政治と金の汚染という背景。この事件では外国人労働者に対する漠然とした不安感というか、排斥的気分というものが存在しないか。当時の報道ではそう感じた。海外からの労働者に依存しなければ、成立しない社会。同時に、日本になだれ込んできていた海外からの不法労働者。外国人犯罪の多発。不景気になり、急速に外国人労働者は減少した訳だが、こうした外国人とどうかかわるかについては、何も解決が出来ていない。植民地時代の朝鮮からの労働力の流入が、在日朝鮮人問題として日本の社会の問題点としてある。日本がどのように外国とかかわって行くのかを、それぞれの分野で考える必要がある。
農業分野において、中国からの研修生という形で、労働力が広く求められている。それは、労働力が安いということと、日本人が根気のいる肉体労働に耐えられなくなっているという、両面がある。就職難と言いながら、農地が放棄され、限界集落が生まれている現状。そして、大型農業が模索される。農業法人であれ、個人経営であれ、安価で良く働く労働力が無ければ、農業の大型化は出来ない。大型農業を目指す経営には、政府の補助金がいろいろ出るらしい。だから、土木系などの他分野からの参入もある。しかし、その経営は常に、海外からの農産物と競争に置かれる。当然のことながら、日本企業が海外に進出して、その国の安い労働力を利用したいわばプランテーション農業との競争にもなる。これに負けないためには、当然、より安い外国人労働力が求められることになる。農業分野の大型化や経営合理化はそう言う結果が待っている。
問題はそうした農業全体の姿が、了解されたうえで事が進められているかどうかである。日本社会に、外国人が特に、日本人のやりたがらない仕事を受け持つ形で、流入していることだ。この事が日本社会にとって、どういうことになるのか。充分に議論が必要である。日本人が歪んでゆくことになるだろう。日本は今だ国際化されていはいない。中国人とか朝鮮人と、書いただけで反日教育をする工作員だろうというような、反応をする人がいるくらいである。こうした環境の中で、不当な捜査や裁判証拠がなかったかどうか。とても気になる所である。こうした事件化したものがある以上。社会の中では、不当なことが広く起きていることが想像される。久野でもバスで乗り合わす、外国人労働者だろうと思われる人が結構いる。どんな状況なのか、心配になる。
昨日の自給作業: 苗取りなど、3時間 累計時間:30時間