欠ノ上田んぼ始まる。

   

自給の田んぼは10ほどのグループに分かれている。昨年まで舟原田んぼでやってきたが、今年から欠ノ上田んぼの代表として参加する。舟原田んぼの代表を木村さんが引き継いでくれた。欠ノ上の代表だったIさんが辞めたので、そちらが手薄になり移ることになった。身を切られる思いだ。日曜日に初めての作業があった。11人の人が参加した。穂田さんがユンボをもってきて協力してくれた。2日かかると考えていた作業が半日で終わった。今年一年このグループで精一杯頑張りたいと思う。中心となるメンバーはほぼ確定して来たので、良い田んぼになりそうである。この田んぼは条件が良い。自慢になるが農の会の田んぼの中で、一番良い条件だと思う。久野川沿いで環境が良い。駐車も傍の山聖さんの協力の御蔭で何とかなる。何より水の取り入れが充分に出来る。昨年の渇水期でも水が足りないということはなかった。さらに土壌が棚田にしては良い。昨日は耕していて、思わず嬉しくて笑いが出た程である。昔からの土を移動しないで済んだ所はとても良い土壌。

この田んぼは、江戸時代の初めには作られていたと思われる。水路が山の中を1キロから2キロほど掘り抜いて通されている位だから、田んぼに対する気持ちは強かったと思う。欠ノ上集落には、観音堂と言うなかなか味のある古いお寺がある。子の神社と言う立派な神社がある。この集落が力のある地域であったことは確かだ。少し田んぼから話がそれるが、久野はあしがら平野に流れ出る、久野川沿いの谷あいの地域である。その出口が下宿、少し上って中宿があり、上宿は無いのだが、坊所がそれに当たるのではないか。その意味で箱根への道は坊所から、つながる。欠ノ上、舟原は久野川本流沿いで有りながら、どうも別の感触がある。一番上の舟原は山の入り口で、むしろ山仕事中心の豊かな村。その意味で一寸木の苗字が多い。欠ノ上は田んぼや水力を利用した、農業中心の実力のある独立した地域ではなかったか、欠けは崖であり、崖の上に位置する地域。その意味で、諏訪野原台地への斜面から丘陵の全体へのかかわりがある南斜面に広がる地域。

その地域がどんな歴史風土を持つかは、田んぼと関係がないようであるが、田んぼと切り離すことはできない。田んぼが命だった農業地域であるということは、田んぼをお借りするということは、気持ちの上で疎かに出来ない。自給の田んぼをやるということは、農家以上の覚悟が必要である。この田んぼのお米以外には食べない。そのくらいの真剣なものでなければ、許されるものでない。いくらでも格安にお米が売られるている世の中だ。それを買わないということは、よほど強い気持ちが無ければできない。何故そんな原理主義的なことを言いだすかと言えば、土と言うものに申し訳がない。田んぼ土は自然に出来たものではなく、人間が育て上げた粘土質の人工の土壌だ。棚田に置いてこの土壌を作り出すことは、それだけに生涯をかけた人が居ると思わなくてはならない。

有難いことである。こんなに素晴らしい田んぼで耕作をさせてもらえるなどと言うことは、身に余ることである。能力は無いとしても、全力であたらなくては、許されるものではない。地域の人に対してということもあるが、土の神様に申し訳がない。丘の上から見てくれている、子の神様に申し訳がない。観音堂の観音さまに申し訳がない。他所から来た我々のような他所者が、自給の田んぼができるということは、過去の日本人の歴史にはなかった、驚くべきことである。未来に引き継ぐと言う役割があるから、こういう稀有なことが可能になった。田んぼからいただくものには様々なものがある。日本人が田んぼで学んだものを失ったから、日本人の能力低下が起きた。田んぼの水をどう確保するか。これは安全保障だ。武力で、軍備で守るというようなことではうまく行かないという事を、百姓は知っていた。

昨日の自給作業:田んぼの冬起こし7時間 忘れていたもの果樹剪定4時間 累計時間:15時間

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