電力総連の実態

   

電力総連を解読してゆくと、日本の労働組合運動の堕落がまざまざと見えてくる。電力の労働組合からの政治献金が原発推進のために行われてきたことが、報道では注目されている。この労働組合が原発事故に対して、何ら責任を感じていないことが、代表の稲岡会長メッセージでわかる。電力総連のしらじらしい活動を見て行きながら、果たして労働組合とは何であったのか、考えてみた。結論から言えば金権主義に執着した賃上げの為のみを目的にした団体に成り下がっている。本来の労働組合は、原発の危険性をそこで働く労働者として、気付き、改善して行く努力をしなければならなかったのではないか。その反省は無いのか。下請け労働者に「危ない、汚い、きつい仕事」を押しつけて、見ぬふりをしていなかったのか。原発輸出推進については、触れているにもかかわらず。安全対策の中では、原発関連のものは皆無である。当事者たる労働組合が全くこの危機を認識していなかったことに、驚きと怒りを覚える。

公共における労働組合の意味を以前このブログで取り上げたことがある。小田原市の職員の労働組合についてである。私は必要と考えている。労働者自身による職場環境の向上の為に、相互研修組織としての労働組合の必要性を考えていた。民主党は復興財源捻出を目的とした、国家公務員の給与引き下げを出来ない。人事院勧告の結果民間の現状とは遊離した公務員給与である。電力総連は原子力推進のために、多数の民主党議員に献金している。出身議員も多数存在する。内部チェック機関どころではない。何故、当事者たる原発労働者が自らの事であるにもかかわらず、この危うさに気づかなかったかである。事故が起こるであろうことを、先頭に立って主張するのが労働組合ではないか。原発の危機を問う裁判まであったのだ。にもかかわらず、それを否定してきた電力総連労働組合は、深く反省する必要があるだろう。

資本の利潤追求に対して、労働者の権利を守るために、結成されている。それは労働者が人間的に生きる為のものであろう。暮らせないという最低保証の時代は終わっている。労働貴族に属した人たちの出現。それが電力と言う半公共の独占企業である。労働組合と雇用者たる資本が労使一体となり、危険を顧みない利潤追求。本来なら、労働者の安全と言うことが、優先されるべき所が、下請け労働者に、リスクを押し付けることで、資本の寄生虫化する労働組合の実態。それが民主党政権の下部組織と成っている。労働組合が底辺の非組織労働者と遊離し、むしろ搾取する先兵となっている構図。電力総連は、国民と対立した存在になっている。

福島の事故原因すら、完全解明されていない。津波による電力喪失が原因であるのか。地震による配管の損傷が原因であるのか。結論は出ていないと考える。新たな発表のたびに政府の公表より深刻であった事実が出て来る。放射能の汚染は200キロ離れた小田原にも及んでいる。東電は事故後総員撤退を希望したこと。政府に止められ、死を覚悟したこと。そうした最悪の事態を体験したにもかかわらず、海外に原発を輸出することを、政治的に働き掛ける悪魔的労働組合の実態。すべては拝金主義から来ている。労働組合は批判的勢力の振りをしながら、資本家や企業を擁護する補完する組織になっている。労働組合が弱者側に立つものであるという、前提を捨てなくてはならない。利益の為には、賃金の為には下請け労働者を、外部の弱者を平気で踏みにじるものが、労働貴族たる組合である確認。

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