自給農業の展望
国際競争力のある農業と言うことが、野田政権の一応の建前である。1965年自動車も自由化することで、成長し国際競争力を確保したではないか。と言うような考え方を背景にしている。果たして日本の国土で30ヘクタールの稲作農家になれば、国際競争力が生まれると、本気で考えているのだろうか。中国富裕層の購入するコシヒカリ、1個1000円のリンゴ。こんな特殊な事例に騙されてはならない。日本の自然環境と最低賃金からして、農業の国際競争力はまやかしである。工業製品すら、日本を出て行く。さらに労働単価が影響する一次産業が、国際競争力を持ちえるなど、悪意に満ちた考え方である。農家の努力が足りない。工業製品のような厳しい競争にさらされていない、と言う見方である。農業はいよいよ苦しい。そこで「自給農業を行う以外、日本の環境は守れない。」という20年前に農の会を始めた展望である。
農産物は各国が自給することが、世界の安定の為には大切なことだ。今のようにタイで洪水が起り、タイのお米に依存していれば、大変なコメ騒動が起きるだろう。工場が閉鎖されただけで、日本の生産に影響が出る。カメラや車がしばらく品薄になろうとなんとかなるが、食糧なら大変だ。世界の人口は明日70億人を越えるそうだ。私の子供の頃は、30億人と言っていた。貧しい国はどうなる。TPP反対で農家の既得権益を守ろうと言うのではない。農地の拡大が出来るならやるべきだ。新規就農者の支援も行わなくてはならない。農家の戸別補償は、それを遮っている。農地の拡大をしたのはいいけれど、TPP加盟でお米が暴落したらどうなるのか、この不安が払しょくされない限り、農業を拡大して行く人間はいないだろう。それでも30ヘクタールにしたとしても、農の会の1万円で100キロのお米が分配できる最小の仕組みより、効率が良くなるとは思えない。自給農業の効率は、条件に従い多様なのだ。
新規就農者だってそうだ。将来農産物が自由化されるということが分かっていて、どれだけの人が農業を自分の仕事として選択するだろうか。公務員になりたいと考える若者が多い、安定志向の時代である。リスクがこれほど高い仕事を目指す人間がそうはいるとは思えない。農業はリスクが高いうえに成功したからと言って、大富豪になれる可能性もない。これから身体を使うような一次産業の仕事の成り手は、減少する。どうせ政府は無策でありながら、農家保護政策だけを選挙の為に行う。政権交代とはそういうことだった。今後の方向としては、地方や棚田などの効率の悪い農地からさらに耕作放棄が進む。小田原で言えば、、集積して効率が上がるような田んぼは少ない。とすると、自給農業者には、さらに借りやすい状態が出来る。政府がやるべきことは、今後増えるだろう自給農業者を、きちっと制度の中に位置づけ。混乱しないような枠組みを作ることだ。
未来をイメージする。自給農業者は慌てないことだ。どうせ、TPPは関係がない。キロ100円のお米は輸入されない。農地はさらに借りやすくなる。新規就農者になるようにお願いされる。多分、ヨーロッパのように参入するだけで補助金がもらえるようになるだろう。それでも、参入する人は限定的。農地はさらに減少する。自給率はさらに下がる。その頃には、伝統工芸士のような位置づけになる。日本人の能力の衰退が、各分野でさらに目立つようになる。工業製品でも、競争に負け続ける。その頃には、教育をいくら問題にしても解決できないことに気づくだろう。やっと日本人であることが、問われる。拝金原理主義から抜けられないならば、日本人はいなくなり、日本は消える。わずかに、日本原住民として、文化遺産的に、自給農業を行う居留地があるのかもしれない。そこからだって、またやり直せばいい。