日本人の再生の為に
日本が未曾有の災害に見舞われた。福島原発の大事故によって、復興の足がかりさえ見出しにくい状況に落ち込んでいる。これほどの事故が起きたにもかかわらず、原子力発電の是非を問う声が弱い。浜岡原発では、近隣自治体の理解に時間をかけるなどと、この事態を見ながらも怖ろしい判断を示している。今回の事故は、今後幸運が続いて、一応の収束が出来たとしても、放射線物質による汚染が残り、末代まで大きな障害を残す事に成るだろう。この機会に、原子力利用の国民投票を行うべきではないだろうか。それでも原子力を選ぶとしたときに、日本人をあきらめることにしたい。多分政府と産業界は相変わらず、原子力にしがみつくと、思われるからだ。この事故の対応も見ても、幸運を期待して対応をしていることが良く分かる。もしかしたらうまく行くかもしれない。の連続である。効果が出ない場合の次の手段を、用意しておくことが出来ないようだ。
あえて日本人の未来を考えてみたい。日本という地域にはこれと言って資源があった訳ではない。日本人が勤勉に働けて、感受性が豊かで、手先が器用であった。この地にわたり住んだ種族が、この地で獲得した能力が日本という国を形成した。これが日本が戦後の復興が出来た主たる要素である。ただし、その復興の方角が、経済の価値にだけ向かってしまった失敗が、今現われている。今から50年前の小学校では、資源はないが豊かな変化のある自然環境があり、そこに暮らす人間が日本の可能性だと、普通に教えられていた。この日本列島に暮らす日本人は、どのようにして生まれたかである。それは農業を行う人としてである。この民族は農業によって培われ、出来上がった。特に稲作農業である。それは、稲作を20年ほどやってみれば身体で分かることである。例えば私の絵はその分かってきたことが現われたものだ。特別のものではないし、当たり前のことだ。
日本人の危機は、暮らしを失ってきたことにある。草花を育てられない人がいる。その人にかかるとシャボテンすら枯れてしまう。日常の暮らしが無い人である。日々の暮らしをしていないうちに、植物の様子を判断する能力を失ってしまう。それは農業にかかわってみると、じつに大切な要素だということが分かる。何千年稲作を行ってきた日本人は、明日の日和見をし、月の運行を眺め。風の色を感じる人間に成らざる得なかった。皮膚感覚で、すべてを読むような微妙な繊細な感性を育てた。日本の芸術文化は農業者独特の世界を深めたものと言える。武士道とか、日本精神とか、一段上のような意識が間違えのもとであった。百姓の文化が武士道の根本にあるということだ。禅の思想をいくらか学んだが、まさに農業者なら、改めて宗教観と言わないでもすませるような、身近な考え方である。土と水にかかわる生き物すべての話である。
水土である。水を管理するためには、人と人のかかわりが生まれる。その管理技術の高さは、不可欠であり、絶対的な土木技術であったはずだ。多くを中国、朝鮮から学んだはずである。技術は権力を産みながら、水路を引き、集落を形成して行ったことだろう。その水をめぐる、争いごとと、その調整して行く能力こそが、日本人の人間のかかわりを形成してきた。それは一言に封建的と言っていい、暗い、重い、不愉快な世界でもあると同時に、社会を形成する日本人である。これを捨て去ろうとしてきたのが、明治維新以来の庶民の思いであったのかもしれない。あの不愉快さを捨てたことは良かったのだが、それに伴って存在した「父の力・母の力・ご先祖様のお陰」とでも呼ぶべきものを失った。日本人が稲作を神にささげた意味をもう一度、否定的媒介としなければならない。