米価格過去最低水準

   

稲刈りも終わって、ほっとしたところだ。しかし、私のような農協出荷でない農家にとっても、今年の米価は気が気ではない。農林水産省は28日、2010年産米の9月の業者間取引価格が60キロ当たり1万3040円となったと発表した。1キロ217円。驚くべき価格である。戸別補償の悪い面が出ている。農協出し米農家にとってはどれだけ安くても関係ない話なのだ。赤字分は税金で補填してくれる。こんな構造がまともである訳が無い。困るのは自主流通で頑張っている意欲的農家だ。自分なりに付加価値を付けて、独自の販売ルートを立ち上げ、消費者に直接販売する。美味しいとか、環境保全とか、安全とか、地場とか、お米に特徴を付けて、それなりの価格で販売をする。こういう人には戸別補償は関係のない事なのだ。一定以上の価格だから当然のことだ。しかし、世の中にさらに安いお米が出回る中で、どうしたって販売は鈍る。繰り返し主張してきたとおり、戸別補償は意欲のない米農家を温存する結果になる。戸別補償には展望が無い。日本農業がこのことで道が開けるなど、もらう農家だって誰も考えていない。

当たり前のことだが、商品は消費者と生産者があって、両者の意図のバランスの取れた所で売買が成立する。それが自由経済である。そこに低価格商品だけ、政府が補助金で底値を決めれば、もうそれは商品ではなくなる。いくらでも構わないお米が、余るほどある中で、商品としてお米を流通している農家は、やっていけるのだろうか。本来政府が育てなければならない意欲のある、商品としてのお米を、競争力ある生産農家をつぶすことにならないか。政府は国際競争力のある、農作物を作れと一方で主張する。同時に、そうした農家の出鼻をくじくような、戸別補償制度である。間違った政策であっても、間違ったなりの筋が通っていれば対応法もある。戸別補償は確かに、票にはなるだろう。努力しないでも一定の価格補償がうけられるのだ。日本の農業を何とかしようという中核となる農家を、今年の米価で潰してしまっていいのか。

補助金の使い方が間違っている。悪平等では、農家の努力は引き出せない。努力する者が報われるのでなければ、資本主義経済は機能しない。田んぼをやるということにも様々である。その様々な努力に応じて、補填するのでなければならない。たとえば、この地域は治水的に田んぼを残す必要がある。治水効果として、一反2万円を提供させてください。この地域の田んぼは、里地里山の保全にとって、重要度が高いので、続けて下さる農家の方には1反3万円払いましょう。あなたの田んぼは生き物を育む環境保全に有効な農業をしているので、是非1反4万円出すので、田んぼを続けて下さい。子供たちの食育に寄与している田んぼなので補助します。このように努力をしてほしい方向を、指し示すのが農政である。一律での価格保証制度は、さらに状況を悪化させる。本気の農家を育てる政策が、新しい農業者の登場を促すはずだ。

日本の農業にとって、稲作は根幹である。大きな展望を緊急に立てる必要がある。余って困るではなく、採れるお米をどのように有効に使うかは、政治が方向づけを行う役割である。世界は飢餓が広がっている。そうした国の援助に有効に使うべきである。お米で援助することをもっと積極的に模索すべきだ。日本の国際援助は工業製品を輸出するための、足がかりを作るためのものになっている。道路を作る、港湾を作る。ダムを作る。それも無駄ではないだろうが。人道的援助的として飢餓を救うことも必要である。お米が余るなどということは、世界単位で考えれば、夢のような話だ。余剰米を1兆円で買い上げ、すべてを支援に回す。それは日本の安全保障である。緊張の高まる国際関係の中で、世界に貢献する日本を主張して行く手段になる。

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