相撲中継の中止
相撲の取り組みが、見れないということは残念なことだ。と言っても家で相撲を見るということもめったにないから、早く風呂屋に行ったときに、サウナのテレビでやっていたという時くらいであるが。もちろんサウナでは、水戸黄門の再放送が終われば、必ず大相撲を映しているから、相撲の期間、サウナで白鳳の取り組みに手に汗握ることができるのは、極楽である。まったく体中が汗だくになってみる。子供のころは、星取表を付けていた。ラジオにへばりついて、一喜一憂していた。栃若時代である。当然若乃花と花籠一門を応援していた。当時の子供は大抵がそうだったのだろう。ラジオの中継だから、聞く側もよほど慣れないと、どちらが勝ったのかさえ分からない。取り組みが終わると、一段落して若乃花の上手投げの勝ち、などという放送があって白丸を書き込む。我が家にはテレビはなかったので、テレビで相撲を見たのは、高校生になっていた。
小学校のころは、テレビを入れた家に見せてもらいに行ったことはあった。当時は各局が工夫して中継をしていた。分解写真でもう一度。というコマ送りのような、不思議な映像で取り組みを分析をしていた。そのうちNHKだけが放送するようになった。プロレスのほうは、テレビでやらないようになって、すっかり人気がなくなった。相撲だって、NHKの放送が無くなれば、状況が変わってくる。今回の相撲協会の対応を見ていると、その可能性も感じられる。武蔵川理事長はことの深刻さを理解できていないようだ。天皇から、国旗、国歌問題で強制は良くないとたしなまれた、将棋の米長理事長とよく似ている。その道で一芸に秀でた人間というのは、成功体験が忘れられない人がいる。その身に付けた勝負の鎧が脱げない。暴力団とのつながりが問題にされているが、政治家との繋がりというのも見ておく必要がある。
今回のことも民主党になって、起きていることである。かなり昔の古い自民党時代であれば表に出てこなかった可能性もある。郷土の相撲取りと、代議士の先生は必ずつながりがあった。もちろん暴力団とも、つながりがあった。警察とのつながりもあった。見えない権力構造のようなものが、昔の地域にはクモの巣のように広がっていた。もちろんそういうものが、あるがごとく虎の威を借りる、地域を重い空気にするような厭なものが、どこまでもはびこっていた。そう云う闇の架空の権威による支配関係のようなものが、ひとつはなくなった。政権の交代というのは、必要なことである。NHKが今回中継中止を決められたのは、民主党政権だからだ。世の中は少しづつ良くなっている。
大相撲の問題は、氷山の一角である。酸いも甘いも的な、清濁併せ飲む的な、清流魚住まず的な。きれいごとばかり言うなという部分である。こういう内部の博打の現状を、相撲協会が認識していなかった訳がない。強い相撲取りを作るには、必要なことだと今でも本音では思っている。豪傑というのはそういうものだという伝説がある。どちらかと言えば、今のほうが昔よりだいぶましになってきている、とかんがえたほうがいい。しかし、その世界で成功した人の中には、抜け出られない人が多いに違いない。野球賭博は胴元が1割しか取らないと聞いて、国の賭博はあこぎなものだと驚いた。それなら、是非野球賭博をやりたいと考えている、全国の博打好きがいることだろう。国が賭博をやめることだ。国が天皇賞まで出して奨励しておいて、止めろと言っても説得力がまるでない。NHKの決定を評価して、白鳳の連勝記録の楽しみは我慢する。