麦茶
この冬は大麦の実験栽培をした。それで2キロの大麦が取れた。その麦茶を飲んでいる。これを飲みだしたら、麦茶がおいしいと、とてもいいものだと思うようになった。いまや夏はこれに限るとまで思っている。去年までは冷茶が中心だった。大事なお茶がこれで一気になくなっていた。お茶は月に200グラムと決めているので、飲みすぎると一年持たない。今思えば、麦茶の味をすっかり忘れていた。昔は美味しい飲み物だった。夏に成ると、朝に内に一日分作るのが習慣だった。それがいつの間にか、飲まなくなっていた。氷という物はなかったから、沢水の絞り水が冷たいまま、流しをいつも流れていた。流れた来る水はコンクリートの水槽にたまっていた。そこで作った麦茶を冷やしておいて、がぶがぶ飲んだ。お腹をしょっちゅう壊す子供だったのだが、麦茶ならいいとされていた。
その後、飲まなくなったのは、単純に市販のものは麦茶でない。我が家の麦茶とは少し違うものらしい。焙じてから、時間が経ちすぎているのが、全ての原因のようだ。香りが飛んでしまっている。麦茶の美味しさは、味というより香ばしいかおりにある。麦の甘い香りが、夏の暑さしのぎにうってつけのようだ。そして少し喉にとどまる、苦味。この麦独特の穀物の苦味は、身体に染み渡る、滋味を感じる。何故か麦茶を飲むようになって、体調がいい。お腹を壊す夏に、かなりお腹が持っている。もう一つは、お茶やらコーヒーが夕刻以降飲めなくなった。下手をすると、午後飲んだ紅茶が、寝る段になって響いてくる。早く寝るので、午後も夕方になってきた。そういえば、夕方アルコールを飲むのも、どうも身体のリズムを変調する。夏とは言え好きな生ビールも、たまに飲むのが良いようだ。
大麦は自然に生えてきたものである。由緒正しきものでなく、畑に生えてきたのが大麦らしいので残しておいたものである。たぶん、鶏の餌のこぼれ種である。久津間製粉さんから貰う、蕎麦糠に混ざっていたのだろう。どこのものかはわからないが、これを3年自家採種してきた。大麦は見た目が美しいから残したものだ。これを飲もうとは思っていなかった。厳密に言えば、大麦なのかどうかさえ良くわからない。見た目が大麦らしいというだけの事である。それで飲んで美味しいのだらら、別段かまいやしない。麦も種類が多いらしい。2条とか6条とか種子の並びの形態で分けられるようだが、両者あるようで、両者でもないようだ。本来なら年内に蒔くものらしいが、実験として、年が明けてから播種した。ばら撒きである。しかも不耕起である。最も粗放的にやってみたのだ。
確か1月も後半だったと思うが、仕舞って置いた大麦、なんと言うか、ドライフラワーだった大麦が出てきた。これを蒔いて見る事にした。その頃たまたま、下の工事が終わって、境の整理が終わって、土を入れてくれた。ちょうどいいからそこに養鶏場の床を先ず蒔いた。蒔いて一月ぐらいそのままにしておいて、今度は、大麦の種を蒔いた。巻いて足でかき回しておいた。3坪もあるかどうか。麦は踏むほどいいと考えているので、通るたびに踏みつけるように歩いた。隣の小麦は畑として作ったのだが、結局、追いついた。丈夫なものだ。美しいのげが付いたので、すずめも食べにくいらしくて、随分遅くまで置いておいたが、大丈夫だった。干す事もなく、干しておいた小麦を脱穀した時、最後に脱穀してしまった。随分ロスしたのだろうが、2キロあった。100グラム使っても、20回飲める。こんなに良いものなら、来年はもう少し作ろうかと思う。