教育を考えてみる

   

教育というのは、なかなか難しい。教育されるのは大嫌いだったから、教師になろうと考えていた時期がある。おかしな事だが、いい学校なら、いい教師なら、と思った。茅野の頼岳寺で夏の修業を体験している、子ども達に会いに行った。世田谷学園の中学生の生徒は4名と言うことだ。あとは関係者の希望する子ども達らしい。全体で、20名くらいいた。教育を「姿として」どういうものか学んだのは、左官名人、榎本新吉氏からだ。南足柄で行った、命と暮らしの祭りで、榎本氏はただ板に壁を塗っていた。板に壁を塗るのだから、絵にとても近い。最初から終わりまで見ていた。なるほど絵と違う。最初は絵のようだったけど、終わりは壁になった。榎本氏の作業は面白くはない。絵描きの描いているのを見ているのは面白い。やることの、やったことの、意味がわかるからだ。自分ならと思いながら、見ている。

この祭りで私は、あしがら有機農業マップを子ども達と作った。子供の中に、川口由一さんの娘さんがいたそうだ。そのことは知らなかった。そう言う事を私に伝えないと言うのも、指導者の見識だと思う。一人だけ少し熱心な子供が居て、その子だった。私自身が興味あることをやる。子供も同じように何かをそこから得られればと思った。先ず、知り合いの有機農業者を訪ねた。そこでどんなことをやっているか聞く。そして、知っている他の有機農業者を教えてもらう。そうやって、色々の人の所を訪ねさせてもらった。有機農業者に興味があった。有機農業の方法に興味があったのでない。15年程前になるのだろうか。今より目立たない有機農業をやっている人間自体に興味があった。私自身が継続してゆく上で、何かが学べるかと思った。ともかく生々しい、むき出しの人間に出会うことが出来た。地域でやろうと思うようになった原動力である。

榎本さんの事だった。榎本さんは板に壁をただ塗った。塗った壁は面白くもおかしくもなかった。しかし、職人としてただ塗っている姿に、感動した。祭りのパフォーマンスとして、名人左官職人榎本氏が壁塗りをします。理屈としては面白そうだが、面白くもおかしくもなく、淡々と普通に壁を塗っていた。その姿が清々しかった。絵描きの私が、絵を描くところを、他の絵描きに見られても平気になったのは、そのお陰である。榎本さんには気負いがまるでない。当然な事だが、教育してやろうなどと言う事は全くない。表現と言う意味が、絵とはまるで違う。しかし、その教育力は私には圧倒的であった。絵との違いは難しい所だが、何でもないというところか。存在そのものを、消し去ってゆく作業。粋というか、いやらしくない。絵と言うのは恥ずかしいように、自己主張で。逆説的にそれが面白いのだが。

教育というのは、自分の本来をただ示す以外ない。見せられるような自分ではないが、生々しくそのままを見てもらう。自給と言う時、一番の課題は教育である。ヤマギシズムの子ども達が、地域の学校に行くとか行かないとか、言われていた事があったが。教育を地域が自給する。これが出来ないと、地域循環は完結できない。地域が崩壊したのは、「末は博士か大臣か。」の明治の立身出世の思想である。富国強兵の推進に、競争社会を持ち込んだ。博士と、大臣になる素材が、そういう傾向の人間が、地域から抜けていった。お陰で地域が静かになってよかった所もあるが、国家レベルの野心家がいなくなった地域社会。バランスが崩れた。頼岳寺では子ども達と短時間ではあったが、心が通い合う事はできたか。子ども達のどこかに、鶏の命も、自分の命も、何も変わりがない。食べると言う事は、命をいただくとということ。伝わって欲しい。

 - Peace Cafe