GM倒産

   

アメリカのビッグ3と言われる自動車会社の二つが相次いで、倒産した。クライスラー、ジェネラルモータース、3社と言っても名前も良く知らなかった。もう1社がフォード。車というものがこれほど売れたのは、ステータスと言うか、夢の一つであったからだろう。今はまさに、必需品としての車に変わりつつある。本来、車を夢とするような、物を生きてゆく夢とするようなあり方は、人間の哲学をもてない、アメリカ人らしい代替行為である。家を持つこと。より大きな家を持つこと、物をアメリカンドリームの象徴として位置づけること。具体的な物を目前に置かなければ安心の出来ない、即物的感覚。これが20世紀のアメリカ主義。フォードとか、フォルクスワーゲンとかの主張した固定モデルから、モデルチェーンジを繰り返し、イメージ転換での不必要な消費主義。サブプライムローン問題と同質な崩壊。

アメリカの深刻な行き詰まりは、人間の思想哲学の欠落にある。物によって幸せは買えない。このことがわかっていない。わからないだけでなく、世界にこの即物主義を押し付けてきた。この40年アメリカの精神的深まりはあったのだろうか。そのことは良く知らないが、アメリカが世界に展開した、グローバリズムと言う即物主義、金権主義。この害悪が世界に与えた物主義の影響は大きかった。物質的に豊かであれば、全てが解決できると言う幻影。アメリカの陥った困難は自動車企業を国を挙げて、支えなければならない構造にある。本来、自由競争こそグローバリズムの基本条件であるとして、世界に押し付けて来たアメリカ。そのアメリカが自動車会社が倒産と成ると、今まで平等を要求し、押し付けてきた、大半の国の、国家予算に匹敵するほどの多額の税金を投入する。何という身勝手な論理であることか。

自動車は軽トラックがありがたい。トラックターが無くても何とかなるが、軽トラの無い暮らしは相当に困難である。残念ながらアメリカの人では、あの狭い運転席では、乗ることすら出来ないのではないか。麻生首相温暖化ガス排出削減の中期目標15%を発表した。日本は50年までに排出量を60~80%削減すると国際公約している。低炭素革命も掲げ、環境立国も唱えている。それとの整合性を考えると、15%はかろうじて踏みとどまったと言う数字であろう。問題は、社会の構造そのものを維持したままでは、これ以上の低炭素革命は不可能である。記者会見は立派なものであったが、原子力利用に言及した点が、とても気に成った。中国も原子力利用を方針としている。温暖化さえ抑制できれば、原子力でもいいのかと言う事がある。各電力会社の本音の方針は、原子力発電の拡大ではないか。自動車が全て電気自動車となれば、どれほどの原子力発電所が必要になるのか。

自動車を必要としない暮らし。これは今の所相当に難しいが、求める方向としては、地域で完結できる暮らし。大きな移動など必要としない暮らし。と言いながら、田んぼの水回りに軽トラを乗り回している。出来れば自転車で回れる範囲の田んぼに出来ればいい。来年の目標。経済的な困難な条件が、技術革新を生む可能性はある。低炭素革命も考え方次第で、豊かなで安心に満ちた、暮らしにつながる可能性はある。問題は、大型車が、低燃費で走ると言う技術革新ではない。車を使わないでも暮せるような、社会のしくみ革命である。例えば、過疎地域での医療を考えるとき、病院を無理に配置するのでなく。様々な情報機器の開発、小さな医院が大病院の機能を持てるような技術革新、予防医学の革新。地域全体での暮らしの連携での医療対応可能な社会が作れるか。今行うべきことは、アメリカ型からの転換、新しい社会の方向を見定めることになる。

昨日の自給作業:クリムソンクローバーの種取り、田んぼのあらおこし5時間 累計時間:8時間

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