大麦・小麦

   

小麦はそろそろ収穫を考えないとならない。1畝だけなので、手刈りの予定でいる。ともかく不思議なので最初に書いて置きたいのは、二見の有機堆肥と養鶏場の発酵床の比較実験の結果である。11月に入ってすぐ、畑は耕し始めた。そして、二見の健やか肥料を3分の1、発酵鶏糞を3分の2の面積に入れた。2週間置いて耕しながら、小麦の種蒔きをした。初期二見堆肥の所は葉色が薄かった。薄い割に背丈が伸びた。徒長というのでなく、がっしりはしていた。発酵鶏糞の方は背丈が低く、葉色が濃い。穂が出る時期に成ると、背丈の違いは目立ったが、他は変わりがなかった。穂の大きさも粒張りもさして違いはないと思っていた。所が、5月に入って穂の色の黄金が増してくると、二見堆肥を使った3分の1だけ、株全体が一気に黄色くなった。畑を見ると違いが一目瞭然なので、何がどう違うのか、来る人が居ると、推理を聞いて見る。

有機農業はこういうところが面白い。もうワクワクしてくる。何がどう違うかは分からないが、堆肥が違うというだけで、まるで違う結果を産む。その後3週間経過しても、養鶏場の発酵堆肥部分は緑が濃いままである。そして、何となく倒伏気味に成っている。二見の方は黄色いのに、スクット立ったままである。誰かこの明確な理由を推理できる人いるだろうか。(せめて、写真ぐらい載せないといけないので、後で撮って載せよう。)私の推理では両者の微生物のタイプの違いで無いかと考えている。二見のものは内城菌とかを利用しているらしい。私の所の菌は、そこらに居たものである。小麦は食べ物であるから、食べて味の違いというような微妙なことにまで及ぶ。それを宗教がかった人になれば、生命力の違いとか言い出す。違いがあるのだから、栽培の上で何か意味はある。今年農の会では、実証圃場として、志村さんが二見堆肥の実証圃場を担当することになっている。

まだ、スズメが来ない。幸いなことにまだスズメが付いていない。すずめが来たら案山子と思っていたが、今年は何とかすり抜けそうだ。大麦の方は一月に入って、ばら撒きの実験をした。先ず、ソバカスを撒いて、2週間置いて、そこに何もせず、大麦を蒔いた。どのようになるかだけ見ようと考えていたのだが、結構畑らしくなった。この大麦はソバカスの中から出てきたものだ。最初は1本だったが、今年は3年目で、麦茶ぐらいは飲める様だ。調べてみると2条大麦の一種に思われる。多分ビール用に造られていたのだろう。こうして偶然はえてきたものが捨てられず、種取りするから厄介なことになる。子供の頃は当たり前にご飯といえば、押し麦が必ず混ざっていた。麦飯を食う、といえば、刑務所の食事と言う事で、貧しい食事の象徴であった。冷たく成ると独特のすえたにおいがして、食べにくく、貧しいと言う事が身体に伝わった。

田んぼが小さいと言う事が、全てにつながる辛いことであった。一坪でも田んぼを増やせれば、というような和田傳の世界である。忘れ去られる昔の貧しさの感覚と麦ご飯のすえた匂い。子供の頃の山梨の昔話でも、田舎のネズミが麦を食べるという話があったぐらいだ。大麦は美しい作物だ。穂が立派だ、のぎの長い姿が光に耀く所は、神々しいぐらいだ。ここで言う、大小は面白い。大豆、小豆、大麦、小麦。当然大を偉いと思ってつけたのだろうが、結果はそうでもない。粉食が流行るから、小麦の方が一段上になった。粒食なら、当然大麦である。おホウトウなら、甲州赤小麦。記憶だけの名前で、今そんな種はどこかにあるのだろうか。あるなら作ってみたいものだが、今作っているんは農林61号という一番の普及品。昔作っていた小麦に較べると、拍子抜けするほど背が低い。この麦わらでは屋根はふけない。

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