里地里山保全の予算
県も市も、つくづくお金が無いらしい。久野の里地里山保全の予算が、県と市併せて30万円である。経済状況がそこまで切迫していると言う事なのだろう。新規事業が取り組める状況ではない。むしろ、その中で30万予算措置をしてくれたことを、感謝すべき所かもしれない。感謝と言うか、力を入れていてくれる、関係者の努力が感じられる。お金の事は、ことの本質ではないから、むしろ今後の運営方法を工夫してゆく所だろう。ここまで進めてくる準備段階の方が、むしろモデル事業の予算があったと言う、逆転になってしまった。行政にお金がない。このことはよくよく判ったが、同じに人手もないらしい。市の農政課にはたまに行くので、感触はあるのだが、10年前とはだいぶ雰囲気が違う。ともかく忙しそうである。机の様子だと、人が減っている風でもないのだが、仕事が増えていると言う事なのか。ともかく手すきの人など居る状況ではない。
兄が県庁に勤めていたから、仕事の実態は聞いて知っているつもりだが、農政の複雑化が背景にあるのではないだろうか。長期低落傾向にある産業である。屋上屋を重ねている。様々に、新しい補助金事業が提案される。たぶん、行政の担当ですら、その全体を把握しているとはいかない。新規就農や、遊休農地に対する、様々なメニューは存在する。よほどの専門家でも存在しない限り、上手く活用はできない。とくに神奈川県という環境では、そうしたタイプの補助事業は、前例が少ないだろう。里地里山事業については、驚くほど熱心に行政の人がやってくれている。そのお陰で、一気に「明星登山道」が出来上がったといえる。他でも、メダカのためのビオトープ作りでは、同じ体験をした。思っているより、行政の人たちは行動が始まると、勢いがでてくる。どの人も休日出勤を厭わない。
これから、いよいよお金が無い、人手がない。その中でどのように工夫してゆくか。「業と結びつけて行く。」田んぼをやることが、採算が合うことなら、遊休農地など存在しない。農業が少しでも採算が合うものにする。全体で無理なら、地域で小田原ブランド化する。小田原にはメダカが居る。メダカの学校の歌が作られ、今も固有種が存在する。こうしたイメージと、お米とを繋げることで、付加価値をつけ有利販売する。先ず、費用がかからず出来ることからやる。給食での小田原米の利用。子ども達に地域の田んぼを守る大切さを知ってもらう。子供はパンが好きだとか、麺類が好む。そうしたことではなく。給食を小田原ブランドの未来のための教育手段にする。里地里山は景観が良い。これを生かした農業の模索。先行して成功している事例に協力させてもらう。個々の事業は、個人の営業ではあるが、これに協力できる方法が無いのか、当事者を含め研究する。
地元の事業者がより活性化することしか、里地里山を維持してゆくことは出来ない。その意味で、地域にたぶんに存在するだろう、開発規制になる不安。この問題でも、充分地域全体の計画の中で、開発と対立するのでなく。里地に相応しい開発はむしろ協力してゆく必要もある。本来の里地里山は人の暮らしである。自然と人との、好ましい関係の模索だろう。暮らしが崩壊して里山はない。そうした理念を充分に、議論して行ける環境を作る。優良田園住宅においても、それが乱開発になることは困るが、むしろ環境保全の新しい人材が来てくれる可能性も、高いと思っている。お金がない中で、そうした情報が流す方法。それはホームページしかない。「久野と言う所は里地里山保全をやっているらしい。そういうところに住みたいねー。」こう言う人はたくさん存在する。良い環境保全が、地域の活性化に繋がる。