田んぼ巡り

   


         これが永塚田んぼの一部です。

毎年田んぼめぐりをする。農の会の田んぼは足柄平野に点在している。近くへ行った時には何処も寄って見て入る。田んぼを見るのが好きなのだ。大体の耕作の流れは知っているので、気付く事が必ずあって、とても興味深い。漠然と見ていれば、田んぼであれば、似たようなものに見えているはずだ。これがその気になってみれば、何故同じ作物が、こんなに違う状態になるのかと、信じがたい思いになる。ある程度結論が出た今頃に、一通り見ておくのは良い。あくまで自分の勉強のためだ。仲間がやっている田んぼなので、中まで入る事が出来る。裸足で中まで入らしてもらはないと、いけないので、見に行く事は事前に伝えてある。それぞれの田んぼは、耕作している人達の作品だと考えているので、敬意の気持ちを持って見させていただく。10箇所行けば10箇所の個性があり、作っている人の気持ちが伝わってくる。

今年一緒に回ったのは、中原さん家族だ。中原さんの所属する「新永塚田んぼ」は出来すぎの感があった。この後の天候次第では倒れてくるかもしれない。もう満杯の状態だった。田んぼがかなり自分達の手の内になってきているようだ。全てに原因と結果がある。だから翌年の耕作の方針は自ずと見えている。耕運する2枚と耕運しない1枚があり、その違いが良く分かるようになっている。中原さん自身は耕した2枚が良くできていると言われていたが、耕さない1枚が、とてもいい雰囲気だと思った。耕さない田んぼも昨日も色々見た訳だが、耕さないだけでは、なかなか良い感じにはならないものだ。耕さない田んぼのひとつの形をみたような気がした。耕さない田んぼでも、歩いてみると土の固さが違う。冬の間の状態の違いだろうか。

一当たり見て、舟原を見るとやっぱり舟原らしい感じがした。素晴しい事に若々しい、新鮮ないのちが感じられた。稲が生き物として、清々暮している。もう穂はたれ始めているのだが、田植え後のこれからと言う感じが、まだ続いている。今年は、湛水を続けて干しを入れない。これは決めていた。干しの意味がどうしても理解できないでいる。理解できないことを、ただ繰り返すより、干さないでどうなるかをやって見なければ、決意して今年はこれを我慢しきった。田んぼの土は沼田のように足はのめりこんで行く。しかし悪い臭いは少しもしない。もうひとつは草は出さないこと。これもほぼ成功した。今の状態でも、ヒエが1本もない。こう言う田んぼは他にはなかった。この後何処で水を止めるかだ。既に水を止めている田んぼが随分とあった。出来る限り水を入れていたいが、稲刈りが10月10日予定として、3週前9月20日にに水を止めればいいだろうか。

今年も海老沢さんの田んぼは興味を引かれた。野生的な勢いがある。キヌヒカリで7月田植えだそうだが、充分にできている。いや他より断然良い。それが、ことし坊所でやっている、トレス・小川さんの田んぼの1年積み上げた草堆肥のあとが、同じような勢いになっていた。日陰冷や水の実ることさえない付近のはずが、すごいススキのような出来になっている。草堆肥に田んぼが良くなる、要因があるようだ。しかし、あれほどの量の草を一年寝かして、田んぼ一面に入れることは不可能だ。それに変わるような、楽な方法を探し出せないものか。ひとつは緑肥だが、今までもやっている。そば殻の導入はどうだろうか。秋に大量なそば殻を撒いておく。藁を返すことをしない以上。藁以外の有機物で簡単に手に入り、春には分解するもの。もう少し検討してみたい。

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