ワタミファームの養鶏・続

   

私は批判的な人間ではある。しかし、養鶏業をやる以上他の養鶏場の批判をしない。これを鉄則としてきた。だから、ワタミファームの有機認証を受けた、養鶏について書くのは、あれこれ考えて止めようかとした。しかしこのことは、私が書かない限り、誰も気付かない事だろうと思う。そして、ことは既に1人歩き始めている。あちこちで称賛の記事を見るようになった。有機農業研究会の理事の方で、高く評価している人にもお会いした。確かに有機農産物の購入者にとって、朗報には違いない。そこそこの値段で有機農産物は作れる。こう宣伝しているのだ。これが進めば、既に基盤を形成した有機農家にしてみれば、まだいいが、新たに有機農業を始めるものは、企業の有機農業法人に勤務しなくてはないらないことになりかねない。すでに、有機野菜の6%を生産しているという。

昨日の書いたものは、ワタミファームには送った。私の可能な限り、調べて書いたつもりだ。間違っていたら、その責任は受ける、重い気持ちで書いた。昨日から、重い気持ちは続いている。と言って書かない訳には行かなかった。有機畜産の問題点が、現われている。この法律ができるとき。パブリックコメントでは、意見を伝えたが、もちろん形式だけのことで、何の反映も無かった。この法は一切の地域の個別性が配慮されていない。結局食糧のグローバル化を推進することになる。有機農研がこの法の成立に協力していて、私は強く反対をした。結局そのことが、民主的に議事されない事から、退会することになった。日本には日本独自の伝統的養鶏のやり方があればいいので、何もコーデックス委員会の考えに従う必要はない。このときの策定の企業委員と話す機会があったが、ベトナムで有機卵を作れば良いと言われていた。

「安心安全」という長年挙げられた旗を、架け替えるときがきた。「地場旬自給」の旗だ。食に感心のある消費者が、安心安全にしがみついている間に、地域から食べ物の生産が消えていった。安全な山形のお米と言い募る間に、自分が暮している、地域の田んぼが無くなった。地域の田んぼは農薬を使っているとかで、見向きもしない間に、どんどん農家が無くなった。自給率40%を切る食の危機に到った。これを平気でいられる社会が既に不思議なのだが、政府は自給率を半分まで先ず上げることを主張し始めた。その方策が企業の農業進出だ。企業の競争を勝ち抜いた、経営手腕が農業に生きるだろうと、考えての事だろう。農家にも集落営農や、認定農業者制度で、大型化を目指すようにしてきた。その結果は既に破綻が見えてきていると思う。若い農業者が現われない事は変わらないのだ。

農業法人が、研修という名の外国人労働者を使って生産を始めている。こんな事を自給と言えるだろうか。食糧を海外に依存していることは、なんら変わりがない。国際競争力のある食糧生産の、これが実態だろう。ワタミファームには、外国人はいないだろうが。和民という消費者が控えている。消費者が居て、生産する仕組みが、生産性が高いからと、引き合いに出されている。これから個人で始めようという、若者達はこれと競争してゆかなければならないのだ。始める気がいよいよ減退してしまう。農業は本来個人がやった方がいいと考えている。そこで、成り立つ訳がないと考えてきた。有機養鶏を引き合いに出させてもらった。問題点を説明させてもらった。食糧は、国際比較は出来ない。気候も、土壌も、労賃も異なる。食は暮す地域で、自給することを大原則にすべきものだ。

昨日の自給作業:苗の植え付け1時間草刈1時間 累計時間:2時間

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