侵略とは
宮本さんのご意見に刺激されて、少し侵略と言う事を考えてみた。イラクで今アメリカが行っている事は、侵略ではないのか。あるいは、ベトナムでアメリカがやっていたことは、侵略ではなかったか。大東亜戦争この言葉は使いたくない。これは戦争の実態を表していないから、使うべきでない。大東亜共栄圏という発想の裏に横たわる。日本が列強を真似て、帝国主義化してゆく姿。それこそ最悪な方向を示している。明治政府の天皇制を利用した、富国強兵の考えが、日本を間違った道に進めた。もちろん間違えさせたのは、世界の帝国主義であるとは思う。アジアの開放とか、きれいごとの建前から発言する人もあるが、本質は経済侵略である。朝鮮、台湾、満州に対する植民政策。日本を強国にしてゆく、手法として、アジアに進出している。このことは、アジア側から見れば、何処から見ても侵略であろう。
全ての事には、両面性がある。今戦争状態のイラクでは、イラク人の間では、多国籍軍ではなく、アメリカを侵略国家としての見ている人達が、普通のようだ。イラクの人から直接聞いた。アメリカはまさか侵略しているとの認識はないだろう。さらに、日本の自衛隊の空輸を侵略していると、考えている日本人は少ないだろう。いつも戦争はそういうものだ。日本でも戦争というと、食べ物がなかった。空襲がすごかった。そうした被害者意識の方から語られる。イラクでも同じことだ、家族が死んでゆけば、アメリカを恨む事になる。フセインの時代の事で、イラクの3人を問い詰めた。何故、自分達の手で何も出来なかったのか、アメリカはフセインからの解放軍ではないのか、彼ら3人がいうには、確かにフセインの時代も悪かった。しかし、フセイン政権を倒してくれても、何も解決はしない。アメリカは外国人であり、もっと悪い。まず、イラクの国づくりは、アメリカが帰ってからの事だ。やられる側の論理はそういうものだ。
アメリカがイラク戦争を正義の戦いと言っても、日本が大東亜の開放など言っても、やられた側にしてみれば、それは勝手な理屈にしか映らない。何処の側に立って、戦争を見るべきかといえば、殺される側の視点から考えなくてはならない。と思っている。宮本さんの意見は、もっと悪い奴がいたから、やったことだという論理のようだけれど、悪い奴はいつの時代もいる。だからと言って自分が悪くなる、弁解にはならない。自分が悪かったかどうかを考える時に、もっとひどい奴の例を上げた所で、何の弁解にも、正当化にもならない。イラクでアメリカは、空爆をしている。だから日本の兵器の空輸ぐらいは良い。とは言えない。国家としての責任は同じことである。
経済の進出も、経済侵略と言い換えた方が良いと考えている。人間はより小さく、経済を自立すべきだ。国よりも更に小さく、経済の自立を図るべきだ。人間の生活の範囲を、満足すべき限界を見極めるべきだ。欲望にはきりがない。ここが一番重要なところだ。経済発展とか、近代的な生活とかいうものに、捉わる事が良くない。確かに生活の改善はある。しかし、人間が生きる原点にすこしも変わりはない。結論として、日本は過去の侵略の過ちを、きちんと謝罪していない。だから、いつの間にか、宮本さんのような正当化の意見が出てくる。ドイツで過去を正当化する人が少ないのは、きちっと過ちを認めたからだ。果たして、日本が平等で、平和な国であろうか。他国の、悲惨の上に、経済的利益を得ているような事はないか。自分たちが、食べるものすら、作ろうとせず。金になるものだけに、追いすがっている国。日本を豊かな国とは、私にはとても呼べない。