バージニア大学32名殺害

   

この事件を個人の精神障碍によると一義的には考えるとしても、それを生み出した要因に、踏み込んで考えておく必要がある。人権とか、国家間の問題とか、複雑な問題が関係するとして、問題の真相に踏み込まない事は、良い結果を生まないと思う。移民社会の問題や韓国社会の問題、これが根底に存在する。バージニア工科大で32人を殺害した銃乱射事件のチョ・スンヒのケースは、移民労働者の子どもたちがたどってきた負のコースの果ての極端な例だと見ることができる。韓国からの米国への移民は極端に多い。留学生も際立って多い。韓国社会の持つ、上昇志向の競争意識が、反映している。移民し、留学して、経済的により高い階層へ上昇したい。こうした社会的、人種的傾向が、韓国社会で生み出されている。もちろん日本にも、末は博士か、大臣か。というあり方を若者の生き方とする傾向は続いた。

今回の事件を、能力主義による競争社会がもたらすものの、最悪の結末と考えるべきだろう。大多数の韓国人は私が知る限りでは、競争的な人ではない。受容的で、許し合うことのできる、儒教的な思想を大切にする人が多数である。それが現在韓国人は極端に能力主義的になった。現状打破的になった。オリンピックでの活躍を見ても、いかに韓国人が頑張っているかがわかる。当然、頑張る事が悪いわけではない。その中で、頑張れない人もいるし、競争能力が劣る人もいる。乱射犯も優秀で競争を勝ち抜いてきた人だ。その人が、心を病み、経済的優位性のみに目が行き、破綻する。異民族の中で生きると言う事は、経済的競争だけが目的に見えるようになりがちだ。勝利する為だけに、競争に勝つ為だけに生きるようになりがちだ。

日々の暮らしが出来るだけのものがあれば、それ以上のものを望む必要はない。大切な事は、一人一人がそれぞれの人間性を十二分に発揮して暮らす事にある。経済的優位性は、その一部に過ぎない。ところが、現在の世界を覆う経済のみ重視する、競争的資本主義化では、愚かにも、経済的優位がすべてを解決する鍵のように思われている。いや、そんな風に思い込まされる若者が現れている。今晩の夕食が、めざし1本とご飯だけであるとしても、十二分にしあわせである事はできる。人間が生きることの本質と、経済的優位とは何の関係もないことを、自信を持って主張するべきだ。たぶんこの韓国青年には、思いもよらぬ事であろう。韓国の青年層の多くが、アメリカに留学し、競争に勝ち抜く事を望むような社会状況が、そもそも間違っていると自覚すべきだ。

8歳から渡米し、この青年は英語での教育を受け、どれほどの読書量があっただろう。外国で暮す生活は、その暮らしの根を失う場合がある。両親は韓国語で暮したのだろう。優秀だったこの青年の精神は大きな負担を受けたのではないだろう。韓国という国家の、競争的傾向。そしてアメリカという、能力主義の国での競争。アメリカンドリームという、経済的成功を人生の目的としてしまう。間違った目的。こうした中で、彼が社会との接点を失って行った事は想像できる。土に根ざし、地域に根ざし、自給的に生きることを忘れてしまってはならない。人間は食べる物を育て、それを食べて生きることが原点だ。1日2時間その為に費やせば、それは可能な事だ。その原点に立ち返ることこそ、本当の安心がある。

 - Peace Cafe