ウチナンチュー大会

   



  移民については以前から様々に考えてきた。明治以降日本は移民を奨励してきた。日本が明治維新以後、南北アメリカ、中国大陸、フィリピン、南洋諸島など海外に送り出した移民の総数は百数十万にのぼる。そして、その移民の多くは国策として送り出された棄民と言うべきものであった。 

 日本の人口は、江戸時代には約三千万人で推移していたが、明治維新以後急激に増大し、1920年代末には六千万を越えた。この急激な人口増加が、人口過剰になり、土地を分ければ農家の維持が不可能になると考えた。農家の余剰人口を政策的に移民で解決しようした。 

 財閥支配と地主制に起因する明治の帝国主義の方向に問題があった。農地の人口増加に対応する分割が出来ない。富国強兵を目指し帝国主義政策を推進した明治政府は、国策により海外移民政策という、間違った方策を推進した。

 移民の募集にあたっては、甘い夢のような未来が待っているというような虚偽宣伝が行われ、現実の厳しさは覆い隠され、移住以後は日本政府はまともな対応を放棄した。ほとんど面倒を見ないという実態であった。まさに明治期から始まる、暗黒の棄民の歴史である。

 海外移民を推進し、海外に行ってしまえば自己責任とばかりに移民の保護を放棄してきた国は、人口減少による労働力不足のために他国人を呼び込もうというおかしな政策になった。日本の政治家・官僚・企業経営者達には、人間は口減らしの対象か、単なる労働力としか見えないという証拠である。

 戦後在外日本人の帰還が進み、荒廃した国土で職も確保できない状況が続いて、実際、帰還した移民に「祖国」は決して優しくはなかった。国内の寒冷地や高地に開拓移民として戦後開拓が用意されたが、再び過酷な開拓事業に取り組まなければならなかった者も少なくなかった。

【沖縄県の移民の歴史】 沖縄県は我が国有数の移民県であり、北米・南米をはじめ世界には約 42 万 人の県系人がいるとされている。戦前・戦後に海外へ雄飛した数多くの県民は、 移住先での困難の時代を不屈の精神で乗り越え、堅実な歩みを続けてきた。特 に、ウチナーンチュ(県系人)のチムグクル(思いやりの心)は、遠く離れて いても強い絆で結ばれ、戦前、戦後においては、仕送りや多くの救援物資によ り経済的困窮状態にあった故郷沖縄の復興を支えてきた。今では各国社会の一 員として信頼を築き、政治、経済、文化、学術等の様々な分野で活躍し続けて いるウチナーンチュは、海外、県外の地においても、故郷を忘れず、沖縄の文 化や精神を大切にし、県人会などでの伝統芸能や三線、空手等の文化活動を中 心に、ウチナーンチュとしてのアイデンティティを次世代に継承している。先 人たちが創り上げてきたこうした沖縄の文化については、沖縄県においても 11 月1日を「琉球歴史文化の日」に定め、沖縄の文化の継承と発展を図り、 もって心豊かな県民生活及び文化的で活力ある社会の実現に寄与することを 目指している。
 1990 年の初開催 以降、これまで概ね5年毎に行われてきた。前回6回の大会では、海外 29 ヶ国・地域から 7,353 名、国内 603 名が参加した。

 第7回ウチナンチュー大会が10月30日から11月3日まで開催された。沖縄のテレビではウチナンチュー大会一色と盛り上がっていた。いわゆる沖縄のアイデンティテーは他の地域にないものである。沖縄は移民に出る人が多い。当然移民から戻る人も多い。石垣島は共和国と言われて、様々な地域の人が石垣に来て島を形成している。

 一方で石垣島ではここ数十年流入人口が増加している。2006年は一年で 1840 人が県外から移り住んだとある。移住しても離れる人がかなりいるようだが、それでも1000人ずつが15年移住し定着すれば、島の人口の4人に一人が移住者と言うことになる。移住者の中には住民票を移さない、半移住状態の人もかなりいるらしい。

 これだけ移住者が多くなると、石垣島にルーツのある人と出会うことの方が少ない。知り合いになった方で言えば、のぼたん農園の参加者30人の中で石垣島にルーツのある人はいない。地主さんの国仲さんも宮古島からの開拓移住の方である。

 私が石垣島に移住して4年間、今まで知り合いになった方でルーツが石垣島の方だとはっきりしているのは2人のみである。1家のお隣の泡盛の玉那覇酒造所は石垣島最古と言われているが、那覇から石垣に移住した方だと言うことだ。地域の組長さんは農家の方なので、たぶん石垣島の方かも知れない。

 たぶん今までに200人くらいの人と知り合ったと思うが、そのうち2人だけが石垣島の方なのだから、知り合いの1%としかルーツ石垣島の方はいないということになる。もちろんルーツ石垣島の人が多く暮らされているのだろうが、私の行動範囲ではまず出会うことがない。

 島に来る人もいれば出て行く人もいる。本島につまり、沖縄本島に出る人も多いし、本土に移住する人も多い。多くの人が進学や就職に際して出ることになるから、若い人が出て行くことが当然多いのだろう。その背景があって、移民として出て行く人が多かった時代がある。

 世界に42万人のウチナンチュールーツの人がいて、沖縄に里帰りして、大会を開いているのだからすごい。こうした活動は沖縄だけのことではないだろうか。たぶん、世界中でそういう出身国との繋がりを大切に維持すると言うことは珍しいのではないだろうか。

 それは沖縄県人の一つの特徴でもある気がする。石垣島では抑どこから来たと言うことが話題になる。私が山梨県生まれであり、東京で育ったとしてもそういうことがどれだけ意味があるのかと思うが、石垣島ではとても重視されることになる。

 あの人は宮古島だ。あの人は与那国島だ。こういうことがその人間の判断になっている。大体名字でどこの人なのかみんな分かるらしい。もちろん名字で最近の移住者であると言うことも、当然に分かる。出自によって付き合い方を変えているのだろう。

 どこの馬の骨か分からない私のような人間は、騙して、一儲けするのが賢いやり方だと言う空気を感じることがある。役所や農協やどこへ行ってもヨソ者はヨソ者扱いして良いと言うことのようだ。ただし、ヨソ者と観光客は又別の扱いになっている。

 こういう背景があるために、移住者は結局の所、移住者相互に関わるようになる。家を作るのであっても移住者に頼むとか、県外の業者に頼むと問題が起きないと聞いた。申請などの困難は業者が受けているのだろう。私も自分の家と、倉庫建築で色々な体験をした。

 移民による過酷な状況を乗り越えたウチナンチュウ達が、ルーツを大切に現地で活動をしている。故郷を懐かしんでウチナンチュウ大会に参加する。素晴らしい機会が作られている。どれほど過酷な条件であっても乗り越えて、暮らしを成り立たせた人達がいる。

 これからの日本は果たしてどうなるのだろうか。外国人労働者が来てくれるような状況は遠からず無くなると考えておいた方が良いだろう。世界のウチナンチューが沖縄の素晴らしさを伝えてくれていることを、忘れないようにしたい。

 
 

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