石垣生活の現状と変化

   



 73歳になった。石垣島に移住してきて、4年が経過したことになる。少し、今の暮らしの状態を記録して再確認する必要がある。いつの間にか暮らしのパターンが少しづつ変化をしてきているようだ。どういう理由で変化が起きてきているのか、よく分からないが、73歳になるに当たっての生活状態の人間ドックである。

 まず体重は54キロだ。変わらないようにしている。オムロンの体組成計によると、体年齢が42歳。体脂肪率は19。内臓脂肪は4。これらの数字はこの数年この前後である。身体は大きく衰えたと言うことはないと考えている。頭と眼のほうは、先日の高齢者運転はクリアーできた。

 これからが大切な日々である。いままで生きてきた72年間が意味ある時間になるか成らないかは、これから生きる28年にかかっている。成果を残せるかと言うことではない。これが笹村出の生きると言うことであったという、自分の納得に至れるかである。

 今やっていることに至るために、今まで生きてきた気がしている。100歳まで生きるつもりで、今の一日のことを考えている。だから100歳まで生きれないと、中途半端になるが、それは受け入れるほかない。生と死を明らかにして、諦めて受け入れることが、仏教者の目的であると道元禅師は言われている。

 朝起きるのは4時と言うことにしている。と言っても最近は夜中に目が覚めてしまうことが多くて、寝床の中で、YouTubeを見ている。起きるよりはましだと思って我慢している。杭打ち法とか、井戸の堀方。ハンマーモアーノ使い方。水槽の水の浄化方法。と言うようなものを検索してみている。大抵4時の起床時間まで見ている。良いとは思わないのだが、仕方がないという感じだ。

 ユーチューブ杭打ち法は参考になった。よく見る井戸掘りも試みてみたい気になる。田んぼの水が足りないのを補いたい。特に8番以降の田んぼには井戸があればと思う。水が行かなくなったときに井戸から汲み上げることが出来れば安心である。しかし、沢山見ている内にのぼたん農園では無理だと思えた。

 井戸掘りを勉強することは自給生活のための価値がある。水が出ない覚悟をした上で、井戸掘り技術の研究だと思ってやってみたいと見ていたのだが、充分見ている内に、ユンボで作る田溜め池の方が現実的かも知れない。などと寝床の中で妄想している。

 ときは三時頃からブログを書いていることもある。できるだけ4時からブログは1時間と言うことにしてきたのだが、今は6時までは書いているのだから、3時間も書いていることもある。少なくとも以前のように1時間では書けなくなっている。

 頭が以前より早くは動かなくなったのかも知れない。身体も昔より動きが悪くなっているのだから、当然頭も錆びたところがある可能性は大だ。確実にもの覚えが悪くなっている。耳は遠くなる。眼はしょぼつく。錆びてはいるが、ブログを書くのは1時間半ぐらいでは終わらせたいと今も書いている。

 コーヒーを入れながらブログは書いている。コーヒーは美味しい。モカを南西コーヒーで焙煎してもらって買っている。だいたい1キロを1ヶ月弱ぐらいで飲んでいる。一日33グラムで、これで美味しいのは4杯ちょっと。3杯は飲む。このくらいがコーヒーの健康量だと考えている。

 コーヒーでだんだん目が覚めて、書き直しになったりする。日によっては2本書いてしまうこともあるが、全く書けない日もある。しかし絵は描けないと言うことはない。始めれば何かしら描き続けている。絵を描くこととブログを書くのは使う頭が違う。絵は行き詰まることも無いとは言えないが、ブログのようなつまり方はしない。

 ブログは惚け防止と言うより、ボケ確認だ。おかしくなれば文章という物はおかしくなるはずだ。ボケているのに文章は明瞭と言うことは少ないだろう。絵の法は少々ボケても分からないはずだ。絵はボケて良くなると言う可能性もある。

 玉那覇酒造所の玉の露古酒を100ccをほぼ毎日飲む。体重54.5キロ以下の日は飲める。飲まなければ必ず体重は下がる。泡盛を飲んで一度頭の緊張を解く。忘れたいことがある。忘れられないことがある。100ccでご破算になるのだからたいしたことはないのだ。

 昼間は9時から4時まではだいたいのぼたん農園にいる。最近は暑すぎることと、日光アレルギーですぐ蕁麻疹が出るので、作業はたいして出来ないが、のぼたん農園にいる。この景色の中にいて、絵を描いている。それだけで良いと思っている。

 描いた絵は日曜展示で公開している。公開すると言うことに意味があると考えている。石垣島にいるので絵の仲間とは会うことも出来ない。そうすると絵の頭が偏屈になりかねない。世間に一応は公表しているという意識は意味がある。絵のブログの形は私にはとても良い。

 この絵は誰がどう使おうと構わないものである。その絵が見る人に重要なものであり、欲しいという人が居れば差し上げても良いと考えて展示している。123週経ったと言うことだ。一日一枚描いているので、絵の数は、861前後になるはずだ。成っていないのでおかしいと思って調べたら、なんと連番が20数枚重複していた。

 絵はいつかすべてを整理し直す必要があると考えている。すべてをできるだけ丁寧に写真を撮り、CDロムに残すつもりだ。当面80歳ぐらいの目標にしておけば良いだろう。絵を保存しておくと言うことは大変なことだが、骨壺の中に記録を残して置くぐらいで丁度良いと考えている。

 その画像はホームページで公開しておくのが良い。ホームページはいつまで残るのかは知らないが、少なくとも死んでも年1万円くらいの費用を払う仕組みを残せば、記録は残って行くのだろう。1000万円で10世紀である。どこかで誰かの参考になるかも知れない。

 有り難いことに何十円程度の小さな手に収まるような物に、すべての絵が記録できる。意味があるとも思えないが、そうすれば絵を残さなければならないと考える人が居たとしてもその人の負担にならないと思うのだ。死んだ絵描きのご遺族がそういう負担を抱えている事例を沢山見た。美術館の地下には寄贈作品が山ほどある。まあ私の場合そういう心配もいらないとは思うが。

 これから絵は始まるつもりで居る。石垣島に来てからの方が、絵はいくらかは増しになってきたと見えている。普通は60過ぎたら下り坂である。少なくとも今のところ下り坂には見えない。日曜展示を見て、おかしいぞと感じられたら率直に教えてもらいたい。

 叔父の彫刻の草家人が言っていたのだが、「作家はおおよそが40過ぎて作品はだめになる。その後現状維持できればすごい努力家だ。良くなるのは天才だけだ。自分は現状は維持できた。」20代の猪狩史山像(日本学園)と晩年の明治天皇像(明治神宮)を競べてそう言っていた。

 のぼたん農園に行き絵を描く。この暮らしをできる限り長く続けたい。のぼたん農園の完成は後4年4ヶ月だ。後9年4ヶ月は農地を使うことが出来る。その後も使わせて貰えるなら、生きている間はそういう暮らしをしたいと思っている。

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