何故絵画は藝術でなくなったのか。

毎日のぼたん農園に行き、この眺めを見ながら、絵を描いている。富士山を描くのこともあれば、伊豆の港を描いていることもある。もちろんこの風景を描くことも多い。すべて意識を消して身体の動きから出てくるものにしたがって描いている。
筆の動きも意識の動きから身体の反応に進めている。意識が働かないで線を引こうとしている。あの花の花びらは4枚だからと言うようなことは、絵と関係がない。花がみずみずしいとか、艶やかに美しいとうような感性も私の絵とは関係がない。
絵画は藝術としての表現手段ではなくなったと考えている。それは藝術というもの自体が失われて行く時代という認識でもある。藝術は人間の人間に対する表現である。表現するものと、それを受け取る人間との間に、共通の生活基盤がない時代になったために、現実成立する時間と幅が狭くなった。
現実を発信するものと、それを受け取る者に共通の感受性がなければ、藝術は成立しない。ルネッサンスの絵画作品を見ると言うことと同時代の芸術作品を見ると言うことでは意味が違う。モナリザを素晴らしいとは思うが、その素晴らしさは同時代の作品から受ける者とは意味が違う。
飛鳥の高松塚古墳の壁画も素晴らしいものだとは思うが、その素晴らしさはやはり、同時代人の表現する絵画とは意味が違う。同じ平面作品であるから、同様に見ることも出来るが、描いた者の作品に託した内容が、まるで違うわけだから、あくまで想像して作品を解釈する範囲である。
その意味でいえば、いくら宗達や雪舟の作品がすごいものであるとしても、やはり芸術としての意味が違う。もし一切の時空を越えて、作品を見ているとすれば、それは表現の意味までは見ていないと言うことになる。表現と共感。ここには共通の感性が必要になる。江戸時代の人の感性と現代に生きる人の感性は違う。
その意味で中川一政の作品から来る感動は同時代人としての芸術的感動である。つたない作品だとは思うが、私もそのつもりで同時代人に向けて描いている。ところが同時代人がいなくなってきた。共感する暮らしの基盤勝ちがいすぎる人間へ表現することは難しい。
現代のように親子ですら共通の暮らしがないような早さで変化して行く中では、絵画は、今描かれた作品が、モナリザや天橋立図と並立してみる感覚になっている。残念ながら、これでは本当の意味での芸術の表現ではなくなったと言うほかない。
その原因は時代と空間の変化が大きすぎるからである。私が育った頃にはまだテレビという物がなかった。今はテレビが一般化して、さらにテレビをみないネット中心に情報を得る生活になり始めている。世代ごとに芽を育てているものが違いすぎる。
見るという暮らしが変わり続けている。私は甲府盆地を藤垈の小高い丘の中腹から眺めると言うことが幼児期の体験である。こうして生の風景で目が育った。この目についての想像は出来るだろうが、あくまで想像の範囲となる。その目は暮らしの中で徐々に出来上がった目だ。
村山槐多の目や松本竣介の目は当然、現代人の目とは違う。この違いを学んで想像して、味わうと言うことでは芸術作品としての魅力の半分しか見えないことになる。いわばイラストを見る眼でしか、モナリザは見る事ができない。その見方では芸術を共感することは不可能なのだ。
写真が出来て絵の位置づけが変わった。写真が絵と違うのは写真はこの世の中に実際に存在するものを映像として平面に写す道具だ。写すことへの技術的な訓練は少ない。どこに着目をして、何を見て、どう写すのかと言うことに集中できる道具が出来たことになる。
もちろん写真も藝術の一つのジャンルではあるが、記憶に残るような写真作品は、対象の意味によることがほとんどである。花や果物の静物画を写真で作ったとしても、芸術表現としての意味はほとんどない。
ところがゴッホの向日葵の表現はある時代の人間には魂を揺さぶるような力があった。その芸術表現としての力は、未だに維持されている。しかし、ルネッサンス時代の人がゴッホの向日葵を見たら、絵画とは思えないだろう。
ゴッホの向日葵を絵画として認識できる人間は一定の時代の一定の人である。それがかなり幅広いとは言えるのだが、現代ではその絵画表現も徐々に力を失いつつあるのだと思う。だんだんモナリザが置かれているような位置に、ゴッホの向日葵も置かれることになる。
芸術作品としての絵画にはそれを見る基盤のある人間がどれくらい存在するかと言うことが前庭になる。分りやすく言えば、文学作品は字の読めない人には存在しない。字が読めて始めて文学を味わうことが出来る。絵画も読むことが出来て始めて成立する。
ところが、人間の変化が余りに大きいこの時代に置いては、表現された絵画を読むことができる人は実に限られた存在である。現代でも芸術作品のつもりで、大量の絵が公募展や画廊における個展という形で表現されている。しかし、限られた鑑賞者が存在するだけである。
その鑑賞者の大半は似たような意味があるのかないのか分からない作品を制作している同業者という場合がほとんどである。絵を見る前提となる共通項が失われているのだ。正直に言わせてもらえれば、あらゆる公募展を見に行きたいとも思わない。
見たところで芸術的な感動が期待できないからである。では何故、公募展を続けているのかと言うことになる。それは同様の基盤のある人間を探しているに過ぎない。分りやすく考えれば、似たような生活体験のある人を探しているのだろう。
絵を描く同類の仲間を見付けることは困難だ。似たような生活基盤の人が居ない時代の中で、違和感の世界の中に放り込まれた状態では表現は成立しない。ゴッホやセザンヌが時代を超えていたときに、誰にも理解されないで苦しんだことに似ている。
そんなに優れているという意味ではない。どの程度の自分であれ、自分を表現しているときに反応が無いのであれば、表現は成立しない。また、自分の表現した絵画の不足分に気付くこともない。自分の表現になっていないと言うことも分からない。
表現が表現として成立するためには、受け手となる見るものが必要である。ところがいよいよに見るものが失われ始めた時代なのだ。我々はまだ良い。似たような生活体験をした者がいる。似たような藝術体験をしたものがいる。ところが、現代社会では似たような者などほぼいない。
こうなると、表現としての藝術は成立しがたい。小田原の欠ノ上田んぼには絵を描いていると言う人が、なんと5人も居る。農の会全体で言えば、10人を超えるだろう。しかし、一定の距離よりも関係を近づけることは難しいと考えている。
絵を描くと言ってもその意味が余りに違いすぎるだろうと、想像しているからだ。そして絵画は表現ではなくなり、行動の一つになった。だから絵を描くことに一番影響しているのは朝の禅体操である。身体の動かし方とか、呼吸の仕方が絵に出てくる。そのことは又次回に。