記憶能力が低かった
こんなことは隠していたいことなので書いた事はなかった。「記憶力が人よりも劣っていた。」これは長い間の不本意でこまったことだった。生きてゆく不安要素だった。最初に困ったことは九九を覚えなさいと言われても、みんなのように出来なかった。なぜみんなが出来るのにできないのか衝撃を受けた。
自分の無能にまさかのことであった。幸い先生が私のために2の段を当ててくれたので、ニニンガシと何とかこなした。先生にはわかっていたのかもしれない。記憶力が人より劣ることは隠して生きてきたような気がする。人よりも覚えようと努力して人よりも劣る程度の記憶をした。全く覚えられないというわけではない。
今はそれに加えて老人性の記憶障害のような状態である。本来の記憶能力が劣ることもまぜこぜになったので、ごまかされているが、人の名前を忘れてしまうことは、子供のころからのことなのだ。中学生の頃でも人との付き合いのさまたげになるほどだったのだ。
記憶能力が低いことは自分の今までの生き方の選択に大きく影響をした。そもそもは学者になるという事が、人生の目標になるはずだったからだ。それが父の望みであることがわかっていたからだ。父の期待にこたえたいという気持ちが強くあった。ところが記憶力に限界がある事が分かっていたので、それは難しかった。
どれほど勉強しても東大には行けないという事。東大に行けないようでは学者は無理と考えていた。記憶力を調べると誰にでも同じものがあるような説明が大半である。これは、子供に勉強をさせたいからの嘘だろう。確かに記憶を鍛える勉強方法や記憶術のような方法はないとは言えないが、そういうものを駆使しても能力差はある。
記憶能力は人間一般に差がないことになっている。そんなバカなことはあり得ない。それは差があるからこそそういう風に書かれているに過ぎない。記憶能力を理由にして、努力を怠っているという事を避けさせようという事なのだろう。これは記憶能力の低いものには、努力不足と決めつけられるのだから、悲しいことだ。
記憶能力の差は人間の身体能力に差があることとまるで変らない。もちろん速く走れる人でも訓練しなけば、オリンピックには出れないだろう。そして、どんなに努力してもオリンピックには出れない人が普通だ。記憶能力についても少しも変わらない。
私の場合を考えてみると、九九のような意味不明のもの、あるいはサンスクリットのお経のような意味不明なもの。これをただ覚えるという事が出来ない。脳のどこかがはじいてしまい、受け入れてくれない。受験のために英単語を12000覚えた。これは異常な努力の限界だった。ひどい努力すればまったく覚えられないという事ではない。
名前が覚えられないが、地図は頭の中に入る。筋道や理由があることで理解できれば記憶できる。数学が出来ないという事はなかった。英語は本当に嫌だった。何故こんなものを覚えなければならないかが理解できないので、無理やり覚えるという事が苦痛だった。
道は覚えられても、人の名前がだめなのだ。名前という記号の無意味さがだめなのだ。その人のことは覚えてはいるのだ。だから失礼をすることが多かった。そのために不遜な奴だと思われることもある。そういうわけではないのだが、地名も覚えられないが地図の道筋は図として覚えている。
そして今あえて思うのだが、生きることに不要なことを記憶する意味はないという事だ。意味のないことは忘れてしまっても仕方がない。去年のイネの色を、時系列で記憶していることはとても重要であるが、稲の品種の名前を忘れても大したことはない。
私が畝取りできるようになったのは、イネの葉色で状況判断が出来るようになったからだ。10枚目の葉が出たら、どういう稲が良いかと考えたのだ。分げつ数や、株の堅さ。葉の大きさ厚さ。そして色つや。こういうことを身体の中に沁み込ませた。これが今石垣島で総崩れしている。
絵を描くものとしては一番大切な記憶は風景である。これは子供のころ見たものから、いまにいたるまで、かなり詳しく記憶している。どこか脳裏に焼き付くという感じで記憶されている。カメラアイというわけではないのだから、また違う仕組みで風景が重なることで出来てゆく。
山を見る。それらの積み重なりで、山というもののとらえ方が生まれる。どこの山という事ではないのだが、御岳山であり、妙高山、斑尾山、黒姫山 、戸隠山、飯縄山 、南アルプスであり、御坂山系見慣れた山の景色を繰り返し写生した。それが山というものの記憶に集約されている。
この資質があったから、絵を描くということに進もうと考えたのかもしれない。発達障害の傾向があると言われたことが中学生のころにあるわけだが、そのことといくらかのカメラアイのような傾向とは関係があるのかもしれない。ともかく絵を描くことには幸いした。
絵に描いて再現できるように覚えている。ボナールが写生に行くは、ただ風景を見て歩き回ることだったという。目に映る風景を絵のように記憶するのだろう。ボナールは奥さんが死んで10年以上過ぎてからも奥さんの絵を何枚も描いていた。確かに脳裏にある絵を描いていると思える。
ボナールは出来上がった脳裏にある絵は思い出して家のアトリエで描いていたのだ。素晴らしい記憶力と言われているが、画像的に記憶する能力と、英語の意味を覚えて記憶する能力は全く違う能力なのだろう。発達障害の一つに、カメラアイというものがある。意味とは別にその画面をそのまま写真のように記憶してしまう事だ。
私にもカメラアイ的傾向があることは自覚しているが、近所の子供にすごいカメラアイを持つ子供がいた。漢字が読めないのに、新し映画がかかると映画館の前に行って映画看板に出てくる文字を全部記憶してくる。そのあと、道路に蝋石でその文字を描き続けていた。漢字を読める訳ではないが、覚えてはいるのだ。片岡千恵蔵と正確に書いていた。
そこまでの能力はもちろんない。自信のあるのは一度見た色彩を時間が経過しても、再現できることだ。何故なのかはわからないが、色に対する反応は微妙な違いまで記憶されていることがある。だから絵を描くうえでは大いに役立つ。
記憶能力は低かったのだが、九九もなかなかできなかったのだが、何とかやりたいことを記憶能力が問われにくい方向で生きてこれた。絵描きになると決めたのも、外国語を覚える必要がないと思ったからだろう。フランスに3年居てもフランス語は良く分からなかった。