健康は腸から生まれる。

腸内環境が乱れると不眠、うつ、発達障害、認知症、糖尿病、肥満、高血圧、免疫疾患や感染症の重症化……と、全身のあらゆる不調に関わる。子供の頃腸の調子が悪かった。それで精神的に不調になることがあったのではないかと想像できる。
子供の頃すぐお腹が居たくなる子供であった。 虚弱体質とお医者さんにはいわれて育った。それもあってか、東京の家よりも、山梨の山の中で暮らすことが多かった。東京の目が回るように忙しい商売人の家庭では、大人になるまで育ちきらない、と思われていたようだ。
向昌院の住職だった、お爺さんが心配して預かってくれていたのだと思う。だから、3文安いのかも知れないが、祖父は私を教育しなければならないと考えていたので、とても厳しかった。その教育が成功したせいか、中学生の頃に得度をすることになる。
もう一つ困り切っていたののが寝小便である。これも色々病院に行ってみてもらったが、大人になれば直るぐらいのことで、どうしても直らなかった。お灸をすれば直るというので、ひどい苦しい目にも遭った。あれは虐待のような記憶しか無い。それでも直ることはなかった。
どちらも未病ではなく、病いと言える状態であった。今に成って想像できるのは、精神が不安定だったためだと思うしかない。聖路加の精神科にも行って見て貰っていた。多分最近で言えば、発達障害という都合の良い病名になるのだろうと思うのだが、軽度と言うことでありたい。
今思い出すと、外の社会を把握することが出来なくなるような状態だったと思う。自分の精神状態が、頭のなかがぐるぐる回り出して、前後の時間が分らなくなり、自分の今の状況が把握できなくなる。持っていたはずの物をすべてどこかに落としてきているというような状態。
何か原因はあるのだろうが、突然お腹が針を刺すように痛くなる。七転八倒と言うが、お腹を押さえてのたうち回るしかないのだ。しかし、たいていの場合、しばらくすると直る。トイレに行けば直ることも多かった。たいていの場合は下痢をしているが、そうで無いこともあった。
寝小便の方は中学に入るころにやっと直ったのだが、このコンプレックスのようなものは、人格形成に影響した。腹痛の方は40歳ぐらいまで続いた。何かとお腹が痛くなることが多かった。子供の頃はほぼ毎日だったが、週に一回ぐらいに減った。今でも腸が弱い方だという気はするが、昔ほどお腹がいたいということはない。
簡単に言えば、ノイローゼが治ったと言うことになる。始末に負えない自分というものを、何とか自分の手の内のものにしたという感じがする。と言ってもノイローゼも発達障害も、良く理解できているわけではない。おばあーさんは岡田式正座法で肺病を治したそうだ。坐禅をするようになって、落ち着いたと言うことがあるのかかもしれない。
腸内環境と脳の状態が関連していると言うことに実感がある。気持ちが落ち着いていられるようになってから、お腹が徐々に痛くならなくなった。自分が今何をしているかが認識できるようになってから、お腹が痛くなることは少なくなったと思う。
自分の状況が分らなくなるのは、ストレスという都合の良い言葉を使えば、その通りでストレスが強くなる為に自己把握が混乱してくると言うことだったと思う。ただストレスとは何だったのかと言えば、これが曖昧なことになる。自分の力を越えた事をしなければならなくなったときに起こっていたようだ。
耐えがたい状態に自分が居なければならないときもある。自分の許容量がかなり狭かったのだろう。完璧にしなければと言う圧迫が常にあり、完璧に出来ないために、自己認識が不明瞭になり、すべてを放棄するほかなくなる。多分外部からの圧力に弱かったのだろう。
向昌院でのまわりからの圧力のない暮らしで、かなり緩和された気がする。自然の中で一人で遊んで暮らしていることで、いわゆる自然に癒やされた状態である。毎日自然の中でやりたいことがあった。自然の面白さに満喫して暮らしていた。何も考えないで居られた。
やはり直接の原因は腸内環境に問題があったと考えられる。腸内の微生物の状態が悪かったのだろう。そこから色々おかしなことになる原因があったのだと今は思っている。虚弱体質だったという自覚もあるのだが、多分内臓全体が小さく、心臓が普通の人よりかなり小さいと言われた。
内臓は今も小さいのはレントゲンを見ると分る。腸が細くて短いのかも知れない。腸は特に状態が悪かったのではないかと思われる。食事の量はかなり少なかった。食べることに時間もかかった。少し多く食べると下痢をしてしまった。いつも痩せこけていた。
それでも高校生の時には陸上部で厳しい練習をしていた。校内の体力測定で一番になった。全国的に見てもかなり上位の点数になった。それでも、お腹が痛くなることは同じであった。運動に集中すれば、ノイローゼが治るかと考えて始めたのだが、それはなかった気がしていたが、今から見ればあったと言い得るかも知れない。
結局、腸の調子が良くなったのは、自給生活を初めて、まともな食事をするようになってからのことだった。だから40代になってから徐々に腸の状態が改善されたように思う。毎日開墾の肉体労働を続けた。自給自足のことだけを考えて暮らした。
開墾生活で肉体が少し変化した。これは運動もあるが、それ以上に自分が作ったものを食べる生活になったと言うことである。あの頃は養鶏をやって、野菜を作り、重ね煮を毎日食べていた。そのことで腸内の状態がだんだん改善されたような気がする。
そして精神の状態も落ち着いてきた。陸上競技の長距離走をやって、持久力は強くなった。つらさに耐え抜いて走ることも出来るようになったと思う。だから開墾生活もやり抜けたと思う。汗水垂らしての開墾生活は、自分の腸内環境を変えたようだ。
自給生活を始めた直接の原因は、絵が行き詰まったからだ。自分を根本から変えるためには、食べるものから変えなければだめだと考えた。その食べるものを自分の手で作る。自給生活とは食糧を購入しない暮らしである。自分が作る当たり前のお米と野菜と卵を当たり前に食べる。
いつの間にか腸の状態が良くなった。腸の中をカメラで検査していただいたことがあるのだが、あなたの腸内ほどきれいな腸内はないは見たことないほどだと、人間ドックの先生がびっくりして言われていた。あの60歳の人間ドック以来暮らしに自信を持てるようになった。